旅する教師の業務報告

「旅する教師」として「みんなを自由にする」活動をしています。ご査収ください。

生徒の声を聴き続けること、あるいは今の授業研究に足りないものについて

先日、学校ホームページに掲載する教員インタビューを受けた。

担当の生徒(うちの学校ではホームページの運営も生徒がやっている)がインタビュアーとなり、これまでの職歴だとかこの学校に来た理由だとか今後やりたいことだとかを1時間ほど語っていたのだけど、その中であった「授業をする中で気をつけていることはなんですか?」という質問への答えとしてふと口をついて出たのが「生徒の声を聴き続けること」だった。

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その、ふと出た言葉を通じて思い出したのだけど、僕は教育実習生とかその前のNPOの学習支援員だった頃からずっと「生徒に授業のコメントを書いてもらう」という実践をしてきた。毎回毎回コメントを書いてもらっては返信し、質問には極力丁寧に答え、たまには鼓舞する一言を添えたり。(この実践は以下の記事にも書いているので、興味のある方はどうぞ)traveling-teacher.hatenablog.jp

まあ、始めた当初は体力さえ続けば何とかできるだろ、別に特別なことじゃない、なんて思っていたのだけど、やってみて感じたのは「生徒の声を聴く」ということの難しさだった。

もちろん、毎回の授業準備で生徒にコメントをつけることも大変だった(旅行にいった飛行機の中とか、出張先のホテルでコメントを書いていたことも今となっては良い思い出だ)。けれど、それ以上に「生徒から本音のコメントを引き出す」というのがもっと大変だった。生徒からコメントをもらう以上、それは本音のものでないと意味がない。だけど、たとえ本音のコメントだって教員側にとっては不本意なコメントだってある。教員になりたての僕は、そういうコメントをどこかで否定したりぞんざいに扱ってしまったりしていたのだろう(コメントはすべて本人に返却してしまったので記録は一切ないのだけれど)。だんだんそういう本音のコメントは集まらなくなってしまっていた。

生徒のコメントという「声」にたいし、どうやって返信をすることが長期的により意義深いものになるのか。なんだかそんなことをよく考えていたし、こっそりいろいろな実験をやってもいた。(たとえば「生徒となるべく同じ語彙・記号を使っていれば親近感がわくかも…」ということで「❢」と「❕」と「❣」を生徒によって使い分けたりしていた)

で、今はどうかというと、基本的に「生徒の意図に賛同する」という方向で落ち着いている。「○○ができて良かった」という生徒にはもちろん「それは良かった。順調だね!」と返し、「○○が分からなかった」という生徒には「○○って検索してみるとたくさん解説が出てくるよ。分からなかったら聞いてください」と返す(後者の生徒は「教えてください」とは書いていないので、無理に教えないのがポイントと言えばポイント)。「今日は眠かったから寝た」というコメントに「とても合理的な解決策だねw」と返したりもする。

基本的に、どんなコメントでも否定しない。だからこそ、本音を言ってもらえるし、僕の授業や在り方の悪いところも指摘してもらえるし、たまに書くちょっとキツい一言も受け入れてもらえる(少なくとも以前よりは)。

生徒に本音を書いてもらったことによる効果は本当に大きかったと思う。生徒と教員双方が疑心暗鬼にならないという精神的安定の効果ももちろんあるのだけれど、
「○○みたいな授業だったらいいのに」
「✕✕を勉強できるプリントがあると助かるんですが」
「先生の教え方だと○○さんとかには伝わりづらいと思います」……
などなど、今では生徒が生徒の目線で一緒に授業の改善提案をしてくれるので、とても心強い。

以前の記事で書いた今の僕の「自然で自由で自発的な学び」というスタイルも最初はある生徒の提案だったし、それを少しずつバージョンアップするきっかけをくれたのも生徒たちが寄せてくれたコメントだった。

※参照

traveling-teacher.hatenablog.jp

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学校の教育活動の受益者はほかならぬ生徒だし、生徒が授業や学校をどう考えているかなんて本当のところは生徒に聴かなければわからない。そんな当たり前のことなのだけど、それができているのは学校も教員も(そして「オトナ」全体として見ても)とても少ないのではないかと僕は思う。もちろんそれには仕方がない面もある、だけど、残念。

実際、教員の授業研究だとか公開授業だとかで「生徒はどう考えているか」「生徒はどうしてほしいと思っているか」なんてことが話題に上ることはほとんどない。小学生ならまだしも中学生や高校生ならば十分に『どういう学びをしたいか』も『どういう力を身に着けたいか』も分かっているはずなのに、その意見を聞かず・対話も避けて、ただただ教員同士で「どのような授業にすべきか」「生徒にどんな力をつけさせるべきか」なんていう議論している。

全部が不毛だ、と言うつもりはない。単純に、「生徒の声を聴く」そしてそれを「聴き続ける」ことで、教育現場の課題の多くは今よりももっと早いスピードでより良い方向に進んでいくのではないかと思うのに、それが(場合によっては前提の時点で)抜け落ちていることによって、進歩に足かせが付けられているのではないかと僕は思う。

(というかたぶん、その単純な「生徒に聴けばいいじゃないか」という発想が生まれないことこそが、以前に指摘した「現代日本アパルトヘイトとしての教育現場」の証拠なんじゃないかと思うのだけど)

traveling-teacher.hatenablog.jp

その意味で、僕は「生徒の声を聴き続ける」ことをこれからの教員生活の軸に置きたいし、その価値を周りに伝えていかなければと思う。

 

追記:このときのインタビューが勤務校のホームページに掲載されました。生徒の目線からとても良い形でまとめてもらえて嬉しい限り。記事は こちら!

www.dozen.ed.jp