旅する教師の業務報告

「旅する教師」として「みんなを自由にする」活動をしています。ご査収ください。

旅での怪我とその功名、あるいは南アフリカ共和国のアパルトヘイトと日本の学校教育現場は相似形だという仮説について。

ブログでの報告がすっかり遅くなってしまいましたが、無事に日本に帰国しました。
いや、「無事に」と言い切るのはいささか憚られるくらいのトラブルもあったのですが、とりあえずそこはいつかどこかで記録に残すとして。

今回はそんなトラブルの中で出会った発見についてのお話。

1月4日と5日、前述のトラブルからヨハネスブルグに滞在することになって、本当は僕の中で「世界でいちばん行きたくない都市」とランク付けされているヨハネスブルグに1泊しなければならなくなったことが怖くて不安でショックで大変だったんですけれども、まあ何とか気を取り直して市内観光をしてみたんです。ちょっとはポジティブになれるかもな、と思いつつ。

で、行ってみたのが「アパルトヘイト博物館」なんですが、ここが本当にショックでたまらなかったんです。

一応基礎知識を説明しておくと、アパルトヘイト南アフリカ共和国でかつてあった「人種差別・人種隔離の政策」で、人種ごとに居住地域が分離されて強制移住させられたり、公共設備や学校、レストランまでも「白人用」「有色人種用」と分けられていたりと、そんな政策でした。

アパルトヘイトは1948年の開始から1994年に選挙でネルソン・マンデラ大統領が就任するまで50年近く続いて、彼の手によってようやく撤廃されるんですが、1994年のその選挙までは南アフリカ共和国では黒人に選挙権すらなかったというのがその政策の根の深さを表しているように思います。

で、そこで何を思ったかというと、「今の日本の学校教育ってアパルトヘイトと同じ構造なんじゃないか」ということ。

アパルトヘイト博物館には1950年代にアパルトヘイトを進めていた白人政治家の人たちの映像記録が残っているんですが、その人たちが堂々と主張していた言葉が本当に印象的で、

「我々白人は黒人にたいして十分に貢献をしてきた」
「黒人に白人と同等の権利を与える必要なんてない」
アパルトヘイト政策は社会の発展のための合理的な政策だ」……。
こんなことを平然と・堂々と主張しているわけです。

まあその政治家たちは当時の政権与党だったわけで、それらの意見も当時にとっては「常識的」なものに過ぎなかったのは分かるんですが、それでも、そこから何千万人もの人を傷つけることになる当時のその”常識”が本当に怖かった。

で、思ったわけです。
「そういう”常識”って、気づかないだけで今の日本にもあるんじゃないか」
「それって学校現場での生徒と教員との関係なんじゃないか」って。

こんなことを言うと怒られそうなんですが、上で挙げた白人政治家の発言は、職員会議でよく聞く言葉と本当によく対応しています。

「我々は生徒たちのことを思って十分にがんばっているのに…」
「生徒に教員や大人と同等の権利を与える必要なんてない」
「生徒の成長のためにこの校則は必要なんだ」……。

ほかにも、生徒と教員の「立場の違い」が「立場の上下」と結び付けられていたり、(たとえ生徒に関係のある議題でも)生徒に学校運営の議決権が与えられていなかったり、生徒と教員で使用するトイレすら違っていたり。考えるほどに今の日本の学校教育現場はアパルトヘイトと重なることが多くて、恐ろしさすら感じてきます。

 

アパルトヘイトは黒人の人たちの根気強い政治運動や国連など外部からの圧力によって撤廃のきっかけが作られましたが、日本の教育現場は(もしそれがアパルトヘイトと同じ構造なのだとしたら)何がきっかけで変わることができるのか……。

ヨハネスブルグに行ってから、そんなことばかり考えています。