【書評】リフレクションとはイベントではなく日常的なメンタリティである
季刊誌『授業づくりネットワーク』が届いた。
私は今回も(少しだけ)寄稿させてもらっているのだけど、まあ正直なところ、この号のテーマである「リフレクション」なんて、普段ほとんど意識をしていなくて、だからこそ届いた今号の内容がすごく新鮮に思えた。
「リフレクション(reflection)」をどう訳すか、というところからまず始まる。
普通「リフレクション」は「反省」とか「内省」とか「省察」とか訳されるのだけれど、冒頭の対談でこれからは「見直し」と訳すといいんじゃないか、と語られて、リフレクションはもっと感覚的に「おもしろさを感じる」ことを重視することが大事なんじゃないかと進んでいく。
なるほどためになりそうだとは思ったのだけど、なんか難しそうだしちょっと大変そうだなーと思っていたら、次のパートでは「ブログを使ったリフレクション」「学級通信を使ったリフレクション」「毎日のふり返りを書くことによるリフレクション」など、(私にとって)比較的ハードルが低いものが並んでいてほっとした。
……ん、というか。
たぶん、これ、僕もやっている。
僕の授業では毎回生徒にふり返りのコメントを書いてもらっているのだけど、今の僕にとってはそこで生徒に返信を書く行為がリフレクションそのものだ。その日の授業のできたところ・できなかったところ、生徒の様子の変化などをコメントシートから読み取って、それぞれに返信を書く。形式はいろいろと変えていったけれど、コメントシートの取り組み自体は教育実習生の頃からずっと続けている。
生徒の反応はもちろん、良いときもあれば悪いときもあるし、失礼なことを書くなあと思ってしまう生徒も、中にはいる。最初の頃はそこに迷いや悩みもあったのだけれど、最近は生徒のコメントをありのままに受け止めた上で「じゃあ次の授業はどうしようか」と考えつつコメントを返せることが多くなってきた。
何を言いたいのかというと、「リフレクション」というのはメンタリティの問題で、「何をするか」「何のツールを使うか」「どのように行うか」という点はたしかに大事なのだけど、それ以上に「内容をどう受け止めるか」という心構えが前提として身についていないとスタートできないんだよな、と。そして、そのメンタリティが備わっていれば、日常のどこでも「リフレクション」って実践できるものだし、たぶんそういう人が「強い」んだろうな、と。
ずっと続けてきたコメントシート、新年からはちょっと使い方をバージョンアップしてみようかしら。