旅する教師の業務報告

「旅する教師」として「みんなを自由にする」活動をしています。ご査収ください。

テストについて(2018年11月現在)

今日から定期試験が始まった。

生徒たちはとてもがんばって試験に臨んでいるし、それは個人的にも嬉しいことではあるのだけど、あれ、これで良かったんだっけ? これで教育良くなるのかな?って思うシーンが多々あるのも事実で。

とりあえず、
①学校のテストが一発勝負である必要って本当にある?
 * 途中経過よりも最終到達点で評価する方が本質的だよね?
 * テストが一発勝負だと「テストを見返して自分の力にしよう」っていう健全なPDCAサイクルを回すクセがつかなくなるんじゃないかな?

定期テストで全教科が同時期にテストする意味ってどこにある?
 * 各教科ごとの単元テストじゃダメ?
 * 何歩か譲って学年末テストは時期が近くなるのも仕方ないとして、中間テストは各教科でよくない?
 * ついでに、学校が「テスト勉強期間」って決めてるのおかしくない? それだからテスト前以外での学習への意欲が奪われるんじゃないの?

③そもそも「試験で測れる学力以外の力を育てたい」とか言ってるのに試験で評定(成績)つけてるのおかしくない?
 * 本当のことを言えば、別に高校では評定もいらないよね…
 * 推薦入試で評定が判定に使われたりするけど、学校によって基準が全然違うのに、逆にどうやって評定を参考にしているんだ

などなど。(これは僕一人の意見ではなくて、周りの先生方とよく話題になっているところ)

もちろん、あらゆる方向からの反論も想像がつく。

①’ 実際に一発勝負のテストがある以上、その練習をしなければならない
②’ 全教科まとめて試験期間を設けることで、普段勉強に手がつかない生徒も勉強させることができる
③’ 学校で習う教科の学力は基礎・基本的な内容なので、まずはそこを間違いなく詰め込む必要があるし、その確認のためにテストが必要だ

などなど(たぶんもっとあるんだろうけど)。

まぁその言い分も一部で分かるし、だからこそこの試験制度が日本中で続けられているのだろうけど、大前提として、
「試験前だからといってムリヤリ覚えた内容は、すぐに忘れ去られる」
っていう元も子もない事実は忘れちゃいけない気がする。

運転免許をもって毎日運転している人でも、学科試験の内容を覚えている人なんてほとんどいない。そういった類の「試験」がいかに意味がないかは、ほとんど社会的に実証されていると言っても過言ではない。

だからこそ、せっかく覚えた知識を忘れないように、そして人生に活かしていきたいのならば、それは「テスト前に内容を詰め込む」なんていうやり方ではなくて、もっと自分の生活や興味に根ざした“自然な”方法でないと意味がない。

 

…ということにはほとんどの人が気づいているはずなのに、なぜこうも変わらないのか。

ここからは軽く暴論になるのだけど、結局は学校(教員)側が「権力装置」としての試験制度を手放したくないだけなんじゃないか、という気がしている。

「ここテストに出るよ」と言って授業中に教員の話を聞かせ
「テスト前だから勉強しなさい」と言って家庭学習をさせ
「テストが成績に反映されます」と言ってさらに統制を敷く…
学校における教員の権力の大きな部分は「テスト」と「評定」によって成り立っている。教員はその権力を使えば生徒を楽に「管理」できる。だからこそ、それが手放せなくなっている。
(公平に言うと、僕もその権力を振りかざしてしまうこともあって、冷静になって後悔することも多い)

 

同じような構造で変わりにくくなっている学校内の事柄はほかにもあって、校則なんかは最たる例だ。

その意味で、少しずつでもテストの形を変えることができれば、「学校(教員)が権力を手放すこと」にも繋がるし、大きな価値を持つと思うんですが、いかがでしょう。

(とは言え、生徒たちには立場上「まずテストがんばってね」としか言えない身なのがアレですけども)