旅する教師の業務報告

「旅する教師」として「みんなを自由にする」活動をしています。ご査収ください。

授業について(2018年11月現在)

僕の授業は、生徒から「自由」と評されることが多い。
実際、学校でとっている授業アンケートでも

・授業の良いところ:自由なところ
・授業の改善してほしいところ:自由なところ

 とまあ、そんなコメントを書かれる。

 

どんな授業をやっているのか、というと、一言で表すならば「学び方を共存させた授業」である。
(正確には学年やクラスの実態に合わせていろいろ変えているし、自分の力量が追いつかないクラスもある。以下はあくまで理想像)

根本的な考え方は、

①学び方は“個性”である
 人によって「効果的な学び方」は異なるので、基本的にはそれを尊重する
 ※ ただし、他者の学びの阻害になるような「学び方」は注意する。「自由の相互承認」の理念。
 ※ また、「自分にとっての効果的な学び方」を知らない生徒も多いので、それを見つける機会や情報は適宜提供する。

②「自然で」「自発的で」「自由な」学びを追求する
 生徒たちが大人になったときに「新しいことを学びたい」「自分は自身の力で学ぶことができる」と思える状態をゴールとする

の2つ。

「自分の責任で自由に学ぶ」とも言いかえられるかもしれない(cf: 冒険遊び場)。

 

授業中、生徒はグループ学習をしても良いし、個人で問題集を解いていても良いし、(どうしても聞きたいなら)僕の授業を聞いていてもよい。

こちら側で気をつけているのは、
・次の定期試験までの学習範囲と定期試験の問題レベルを明示する
・こちらがオススメする学習方法・進度を提示する
・生徒からの個別質問には極力丁寧に対応する
・学習に必要な教材・教具(iPadや対策プリントなど)のリクエストに応える
・授業を聞いて学びたい生徒に、授業を提供する(プリント類は全員に配る)
くらい。

「学習するのに極力心地よい環境を準備するので、そこでがんばってください」スタイル。

 

「分かりやすい一斉授業」をがんばって追求していたこともあったし(当時はプリント1枚つくるのに何時間もかけた)、グループ学習を中心に授業を構成していたこともあったし、『学び合い』に憧れつつ実践していたこともあったけれど、どのスタイルにも「合う生徒」と「合わない生徒」がいて、「合わない生徒」はどうしたって苦しくなる。

「学び方」は “個性” なのに、それっておかしいよね、というのが出発点。
あとは、生徒の意見を取り入れつつ、生徒が「自然に学ぶ」環境を整えていくことに注力した。

生徒たちは、自分の好きな場所で・好きな方法で・自分に必要な内容を・のびのびと学習するようになった。
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 いつもは廊下側の席で一人で問題集を解いている生徒が、今日は窓際で友人に解き方を聞いている。
 この前まで後ろの方で友人とゆっくりと問題を進めていた生徒が、最近はいちばん前で一人で授業を聞いている。
 前回、応用問題で悩んでいた生徒は、やはり基礎が分かっていないと気付いたのか、教科書をずいぶんさかのぼって読んでいる。
 グループで学習している生徒も、板書をちらちらと見ている。「ポイントは…」とこちらが言うと、すかさずメモを取りはじめる。
 生徒によっては、教科書よりずっと高度な内容の専門書を読みつつ、周りからの質問にも丁寧に答える。
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こんなことが(決して毎回ではないけれど)頻繁に起こる。

 

もちろん、こういった「自由」を追求すると、困ったことも起こる。

ずーっと遊んでいる生徒も、なかにはでてくる。
でも、「自由」ってそういうことだ。
周りの自由を侵害していない(迷惑をかけていない)のならば、僕はそれを承認しなくてはならない。
(だけど無視してもいけないし、困っているのなら助けなければならない)

…なんて思っていたら、そういう生徒は徐々に減ってきた。
たぶんだけど、自然に学びながら成果を出している周りの生徒たちが、遊んでいた生徒たちに火をつけたんだと思う。

言葉は悪いけれど、教員主導の形式の授業には、教員が「マジメに授業を受けている生徒」を褒め、「サボっている生徒」を注意することで、両者の対立を煽っている構造がある。

この授業では、全員が自由に形式を選んでいるぶん、周りのクラスメイトとより対等な関係になるし、行動の変化も起こしやすい。
(というか、この授業は、ほぼ「全員が遊んでいる」状態と言ってもいいのかもしれない。その意味では生徒にとっての行動の変化も、遊びの種類を変えた、くらいの意味合いに近いのかも)

 

そしておもしろいのは最初に挙げたアンケートの話。
このアンケートの中で生徒たちは、授業の「自由なところ」をプラスマイナスの両面から捉えているのだけど、それってたぶん、僕の目指している「自由な学び」「自然な学び」の本質にかなり近い。

「自由な学び」も「自然な学び」も、他者から与えられてのものではなくて、自分の意志からでないと始まらない。そして、自分の意志だからこそ、結果として自分の意志の弱さが表れてしまったりもする。

それがツラい、という生徒もいるんだろう。でも、たぶんそれは多くの大人が社会の中で体験する「自由」の怖さにとても近い。あーやってこーやって、といちいち指図されない中で自分にとっての最適な道を探さないといけない、「自由」の怖さ。

生徒がその意味で「自由なところ」のマイナスを感じていたなら(さらに欲を言うとそれを自分なりに乗り越えられたなら)、それはそれですごく大きな学びなんじゃないか、とアンケートを読みながら考えたりもする。

 

なので、「授業形式を根本から自由にしていっても、それなりに良い感じで回ってますよ」「なんか(予想外に)生徒がいろんな方向で学んでいますよ」というのが僕の授業の現状報告。

 

現状の課題をあえて挙げるとするならば、「人数が少ないクラス」「学力差が少ないクラス」での授業で、思い描いた形の授業が実現しにくいこと、かな。
(どちらの条件も、一斉授業だと「やりやすい」と言われる条件なのに…)

まあ、こちらの改善についても、またいろいろ手を考えて実践していきたい次第。