旅する教師の業務報告

「旅する教師」として「みんなを自由にする」活動をしています。ご査収ください。

生徒を見ていて学ぶこと、あるいは「真剣勝負」と「心の余裕」の両立について

生徒を見ていて心から尊敬を感じる機会がある。
 
先日は数学の研究授業で、3次の因数分解の有名な難題をある生徒がさらりと解いたとき、そしてその発想を惜しげもなく周囲の生徒に共有したとき、心底驚くとともに尊敬の念を抱いた。
(ちなみに僕は高校生の頃、同じ問題を数十分かけて解いて頭が混乱しきったのを覚えている)
 
今日は、町の図書館のイベントで生徒のライブがあった。
(静かでファミリー向けのイメージのある「図書館のイベント」で高校生のライブとは何とも不釣り合いな気がするが、そこらへんの顛末は下を読むと分かる)
 
今年度は特に、勤務校の生徒たちは年中・町中でライブをやっている。ある3年の生徒は、今年に入って計14件のライブを行い、さらに12月中にもう1件のライブの予定があると言う。
 
あるときは町の老舗の民宿で、あるときは町の祭りやビアガーデンで、学校の学園祭で、関西や首都圏のイベントで、さらには授業の一環で自分たちが主催した音楽フェスで、ソロだったり同級生とのコラボだったり、有名アーティストとのコラボだったり、様々な形で演奏をしているという。
 
彼は言う。
「この学校に来なければこんなに演奏の機会はなかった」
「一つひとつのライブのたびにめちゃくちゃ緊張して、成功した部分を喜んで、失敗した部分を本気で悔しがって」
「でも“完全に成功”って言えるライブは今までで一回もなかった」
「だから伸びていけるんだ」
 
その話を横で聞いていて、「自分もこうありたいな」と心から思った。
 
そもそも勤務校は「離島の高校」だ。そこに進学して音楽ライブを行う機会があるとは思わないし、普通の高校生ではせめて学園祭の場で演奏するくらいが関の山だろう。
彼は、町のイベントで音楽をやる余地があると知ると、仲間を募って参加して経験と実績を積んだ。町内のイベントで高校生がライブをすることが恒例のようになったのもそういった彼らの行動の賜物だと僕は思っている。
 
そうやって自分たち自身の手で機会を獲得し、その機会に感謝し、それぞれに本気になって取り組むことで自分の力に変えていく。「自分で自分を成長させる」ってこういうことを言うんだろうと思う。
 
……
僕自身はどうだろう。
 
教員になりたての頃は「授業は1回1回が真剣勝負」だと思っていたし、それを体現するべく本当に毎日毎晩、次の授業のことばかりを考えていた。『必ず上手くいくはず』と自信をもって行った授業が大滑りしたことも、深夜まで迷って友人に電話で相談したことも、生徒に「今日の授業よかったですー」と言われて泣きそうになったことも、一度や二度ではない。
 
それが今はすっかり薄らいでしまった。
授業に対して多くのエネルギーを投入することはなくなり、以前は数時間はかけて作っていたプリントも今では長くて数十分。大袈裟に言うなら、そもそも「1回の授業を真剣に行う」という思考そのものが弱まってきてしまっている。
 
大きな堕落と言われればその通り。ただ、それによって生まれたものもある。

「心の余裕」だ。
 
授業中に生徒の様子を詳しく眺めることも、生徒と雑談することも、生徒の一言で授業の流れや方針を大きく変えることも、生徒からの批判の声をむしろ喜んで聞き入れることも、以前の僕にはできなかった。毎日の「真剣勝負」によって「心の余裕」が奪われていたのだ。
 
今の僕の授業スタイル(というか教員としてのスタンス全般)はそこで生まれた「心の余裕」をベースに構成されていると言っても過言ではないし、その意味で現状への後悔はない。
 
だけれど。
 
……
どこかで「真剣勝負」の場をもたないと、自分の成長が止まってしまうと思うし、それはきっと生徒たちにも見透かされてしまうのだろう。
 
自分の成長に真剣な生徒たちへのあこがれを、僕の次の一歩のきっかけとしたい。
この記事に出てくる生徒は RENx2 という名前でYouTubeなどでも活動しているので、興味のある方はぜひ応援してほしい。

www.youtube.com

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(ちなみに私のYouTube動画を編集したのも彼である笑)