旅する教師の業務報告

「旅する教師」として「みんなを自由にする」活動をしています。ご査収ください。

差別の構造、あるいは考えすぎかもしれない事柄について

つい先日、学校全体で「人権同和教育」の授業をする日があった。その中である授業を見学したのだけど、それについて考えている。

できれば読者の方に一緒に考えていただきたくブログを書いた。
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授業のテーマは「就職差別」。

就職面接では(もちろん進学面接でも)、「面接でしてはならない質問がある」というのが最初の話。

たとえば
・実家はどこの地区ですか?(部落差別につながる)
・実家は持ち家ですか?(経済面での差別につながる)
・家に仏壇はありますか?(特定の宗教の差別につながる)
・新聞は何新聞をとっていますか?(特定の政治信条の差別につながる)
・尊敬する人は誰ですか?(特定の思想の差別につながる)
などがその例だ。

授業では、生徒に「禁止されている質問」のリストを紹介し、「禁止されている理由は何かグループで考えよう」と展開する。
これがワーク①。

次に生徒に渡されたのは、“サービス業”や“介護福祉業”などの業種が1つ書かれた「業種カード」と、“明るくて活発”・“粘り強い”・“慎重である”などの性格が27個書かれた「人材カード」。

これらを使って、企業の採用者体験をしてみよう、というのが次のワーク②。
このワークには二段階あって、それぞれ
「業種カードに書かれた業種に向いている人材をカードの中から3つ選ぶ」(ワーク②-A)
「企業担当者として、そのような性格の応募者を採用するために必要な質問を考える」(ワーク②-B)
というものだった。

それをグループごとに行い、各グループごとに「選んだ性格」と「そのための質問」を発表する。

すべてのグループの発表が終わったら、最後に全体でもう一度「禁止されている質問」を確認し、
「禁止されている質問、する必要がありましたか?」
「適切な採用をするにあたって、その人自身を見ようと思ったら、これらの質問をする必要はありませんよね?」
と締め、感想を書いてもらって終了。
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ざっとこんな流れだった。

授業の流れは非常に良かったと思う。
生徒のグループワークでも活発な意見が出ていた。
ワークシートや補助プリント、板書もよく練られていたし、打合せのあとが十分に見られる、「キチンと準備された」授業であることがよく伝わった。
最後のメッセージも明確で、授業の主題に迫っていた。
「上手な授業」「よくまとまった授業」と評される授業なのだろう、と思った。

ただ。

僕は途中から怖くて仕方なかった。

これじゃ差別を助長しているに等しいじゃないか。
僕は心底そう思った。

(できればここで、読者の方にも「授業の中で差別を助長している箇所がなかったか」を考えていただきたい。まずご自身の意見を考えたうえで、以下に述べる僕の意見について感想をいただけると幸いである)

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(ここから書く僕の感想については、既に授業案作成者や担当学年の主任、担当部長に伝えてある。以下、その前提でお読みいただきたい)

僕がこの授業を「差別的だ」と考えた理由はワーク②-Aにある。

そもそも「業種に向いている性格」なんてないだろう、というのが議論の出発点だった。

単純に考えることはできる。
実際、サービス業なら“明るくて活発”などを挙げる人は多いし、それは一面では正しいのかもしれない。

だけど、それってただのステレオタイプであり、ある種の偏見だ。
実際にはサービス業はお客さんが多様なわけで、その対応には多様な人材がいた方がいいし、“明るくて活発”な人ばかりの店に居心地の悪さを感じる人もいるだろう。それに、サービス業と言っても接客だけがメインではない。バックヤード管理だとか会計管理だとか、接客担当とは違った仕事にはもちろん、違った適性があるはずだ。

その点でむしろ大切なのは、「どんな職種にも多様性は必要」であり「○○の仕事には✕✕な人」というステレオタイプ(偏見)は必ずしも正しくない、ということではないか。

それなのに、生徒が持っているステレオタイプを共有し、それを前提として承認するかのような授業展開は、ステレオタイプの強化と多様性の否定につながってしまう可能性があると僕は思う。

単純に、ワーク②-Aを無くし、ワーク②をBのみで行う授業展開にした方が良かったのではないか。

多様性が尊重できないと他者を認められず、相手自身を正面から見ることができなくなる。そうするとラベリングやステレオタイプによる偏見から抜け出せなくなり、差別が起こる…。
これが社会的に見た「差別の構造」だ。

その意味で、人権同和教育のなかでもっとも重要な学習内容である「差別の根絶」にたいし、このワークは逆行しているのではないか。
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悩んでいる。

上で書いた通り、一連の意見は担当の先生方に伝えたのだけど、僕が気にしすぎているのではないか、という気もしないでもない。

僕の指摘は的を射ているのだろうか。それとも、意識や観点がズレているのだろうか。
たくさんの方の意見を聞きたい、と率直にそう思っている。