旅する教師の業務報告

「旅する教師」として「みんなを自由にする」活動をしています。ご査収ください。

運動部と文化部の違いは何か、あるいは部活動についての長い議論の序章

数週間前、教職員の「高校総体おつかれさま会」なるものがあった。

そこでは各部活動顧問が一人一言、前に立って結果報告や部活にたいする想いを述べていく。僕は現在は文化部の顧問なので話す場もなく、ただ先生方の熱い想いを聞いていたのだけど、聞いているうちに自分も話したくなったので、自分だったらどんなことを言うかを考えていた。(もちろん)結局話すことはなかったのだが、それなりに考えがまとまったので、スピーチ原稿案としてここに記しておこうと思う。

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僕はずっと文化部に所属してきた人間で、大学では4つもサークルに入っていたのにそれも全部文化系で、今も文化部の顧問をしているんですが、たまに運動部の生徒たちや運動部の顧問をしている先生方をうらやましく思うんです。

簡単に言うと、「なんか青春っぽい」んですよね。運動部って。

あと、運動部は身についたものや成長が分かりやすいというか、そういう点もあると思います。この競技が上手くなったとか、勝てるようになったとか、こんなプレーができるようになったとか、辛い練習に耐えられるようになった、とか。

そういう意味では、文化部って「分かりにくい」んだと思います。だから、運動部の人からは「○○部って何やってんの?」とかよく言われるわけです。

でも、これはあくまで僕の意見なんですが、その「分かりにくさ」こそが運動部と文化部のいちばんの違いで、文化部の本質なんじゃないかと思うんです。

どういうことかと言うと、文化部って「自分たちの目標を自分たちで1からつくる」ところから始まるんですよね。運動部ももちろん自分たちで目標を立てますけど、それってほとんどの場合「高校総体で何位になるか」とか「どこに勝つか」とか、そういうところになるじゃないですか。そして実際、「3年の高校総体が終わったら引退」という制度がそれを裏づけるものとして確固と存在してるんですよね。

でも、文化部って違うんです。

同じ音楽系の部活でも、大会で賞をとるのが目標の部活もあれば、文化祭や定期演奏会での発表が目標の部活もあるし、自分たちで楽しめればいいという部活もあるわけです。

実際、大会の位置づけもそれぞれで、「必ず賞をとる!」という部、「文化祭までの折り返し地点」という部、「自分たちの演奏ができればいい」という部、本当に様々なんですね。

スポーツは、良くも悪くも最後には勝ち負けがつきます。だからこそ「分かりやすい」のですが、そのぶん「自分たちのやりたいこと」だとか「本当に目指したいこと」が勝ち負けの裏に見えなくなってしまうことも起こりうるわけです。

でも、文化的活動には本質的には勝ち負けが存在しない。だからこそ「自分たち自身」をより深く見つめて活動を追究していかないと、本当の満足は得られないわけです。

そう考えていくと、「自分たちの目標を自分たちで1からつくる」っていう文化部の特徴は、とても本質的なことだし、価値のあることなんじゃないかと僕は思うわけです。

そしてそれって、もしかしたら人生と同じなんじゃないか、と思うんです。
人生は「勝ち負け」もなければ確固とした目標も決められていません。だからこそ、自分自身を深く見つめて、自分なりの目標をつくっていかなくてはいけない。たとえ「分かりにくい」と言われようとも、「何やってるか分からない」と言われようとも、自分のやっていることを信じて実行していかなければならない。そして、その先に「勝ち負け」なんかじゃない本当の満足がある。

そういう「人生の歩み方」みたいなことを、文化部では運動部以上に学べるんじゃないかな、と私は思っています。

最初に言ったように、文化部人間の僕は、学生時代も今も、運動部の皆さんに憧れの気持ちをもっていました。うらやましく思ったことも一度や二度ではありません。

でも僕は、「文化部」を通して「人生の歩み方」をずっと学んできて、いまも生徒たちに「文化部」顧問として「人生の歩み方」を教えているつもりです。

それに後悔はありません。
ありがとうございました。

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今回は部活について書こうと思った。

部活動、特に教員になってからの部活動の思い出についてはポジティブなものもネガティブなものもあるし、部活動の在り方などについては一言二言どころじゃなく言いたいことが、ある。

しかしそれと同時に、「部活動ってそもそも何なのか」「何を目的とした教育活動なのか」がほとんど議論されていないことにも気持ち悪さを覚える。

ちなみに僕は現在、部活動の顧問業務にかなり本気で携わっているのだけど、その部活の個人目標は「多様な人を巻き込んだプロジェクトの遂行能力を、教員と生徒が共に高め合う」ことだ。そして、その目標を本当に重要で魅力的だと考えているからこそ、部活動の主要業務だけでなく雑務にも本気で取り組むことができている。

(前任校で運動部を教えていたときの個人目標は「生徒のリーダーシップを育む」ことだった。今の部活の個人目標に自分のことも含まれているのは、個人的な意識の変化の表れかもしれない)

部活について、特に制度上の在り方についていろいろ書く前に、「そもそも自分は部活をどう捉えているのか」「それがどのように意味があることなのか」ということを一度掘り下げたかった。

僕は、議論を上のスピーチから始めようと思う。