旅する教師の業務報告

「旅する教師」として「みんなを自由にする」活動をしています。ご査収ください。

「やらされない」こと、あるいは最近の授業について(2019年4月現在)

今年の1年生の授業は、「やらされるな」の一言からスタートした。

オリエンテーションで言った内容は↓の感じ。

中学校までの教育のことを「義務教育」って言いますよね。

あれは何が義務だったかって言うと、「親が子どもに“教育を受けさせる義務”」なんですよ、憲法的には。これは君らの立場から言うとつまり、君らは教育を「受けさせられていた」と言えるわけ。

で、皆さん知ってる通り、高校からは義務教育ではなくなります。「受けさせられる」「やらされる」教育ではなくなるわけです。じゃあ、「やらされる」ではなくてどういう教育になっていくと思う?

(何人かの声)

そう、「自分からやる」だよね。

今までは親や先生から「やって」と言われて仕方なくやっていたかもしれないけど、これからは「自分からやる」という意識を持ってほしいと思っています。

高校の数学は難しいです。中学校までの数学は「やらされる」意識でも何とかなったかもしれないけれど、高校の数学は「自分からやる」意識がないと、理解もできませんし定着もしません。

私は皆さんに「やらせる」ことを最小限にして、皆さんの「自分からやる」をどんどんサポートしていこうと思っています。

「自分からやる」授業、一緒につくっていきましょう。

そこから(僕の入院もあって)時間があき、実質最初の授業をしたのはそこから約2週間後。

オリエンテーションで話したメッセージを再度少し確認し、

「私も皆さんに授業を押しつけたくないし、やらせたくないのだけど、皆さんはどういう授業がいいですか?」と問いかけた。

自分たちはこういうふうに授業を受けたいから、先生にはこれをやってほしい、という提案を、ぜひしてください。

グループ学習で進めていきたいから先生は確認のための小テストを作ってください、とか、個人で自習で進めていきたいから先生は質問に答えてください、とか、先生の話したことをたくさんメモするから先生は黒板を使って教科書の解説をしてください、とか、何でもいいです。

実際、今の2年生や3年生はそれぞれに違ったスタイルで授業をやっていますので、私は正直何でもいいです。

授業で達成してほしい目標はシンプルで、「教科書の練習問題を自力で説明できること」「それが“1ヶ月後も”できること」。これができればやり方は問いません。

自分たちでいちばん良いと思われるやり方を考えて、ぜひ実践してみてください。そのためのサポートはいくらでもします。

…で、どうしたいですか?

我ながらハードな問いかけだったとは思うけれど、数名の生徒たちから「自由に教え合いたい」との声が出たので、うん、まずはそれをやってみよう、いつでも変更はできるし、合わなかったら変えればいいし、それくらいの時間もあるから、と言いつつそこからスタートをすることにした。

そしてはじまった初回の授業は、予想以上の反応だった。

教科書をじっくり読みながら「ノートに書いた方が忘れないから」と必要事項をまとめる生徒、すぐに練習問題を解いて近くの生徒と答え合わせをする生徒、グループになって議論をする生徒、すぐにすべての問題を解いて教える相手を探している生徒…。

こういう光景は『学び合い』の授業では見られることが多いのだけど、初回の授業から自由に「自分のやり方」をオープンにするというのは特に高校1年生にとっては実はとても難しい。

次の授業時にはさっそく「先生、自分がどこまで理解してるか分からないので、確認問題みたいなの作ってもらえませんか?」とか「音楽聴きながらの方が集中できるんで、iPad借りてきてもいいですか?」といった新たな提案が出てきた。確認問題はもちろんOK(ついでにほかの人もいる?と聞いたら多くの生徒が手を挙げた)、iPadも「イヤホンは自分で持ってくる」「コミュニケーション上のトラブルに気をつける」ことを守ればいいよ、と言った(今思うと2つ目の条件は蛇足だったかもしれない)。

ここまでの話だけならば、最初の一言で
「この授業では『学び合い』をします。みんなで自由に教え合いをしてください。確認問題は先生が作って配付するので、それを適宜利用してください。必要ならば学校のiPadも使用して構いません」
と言えば済む話じゃないか、と思われる方も多いだろう。実際、僕も今までの授業ではそのようにスタートさせることが多くて、生徒から授業の要望や提案を本格的に聞くのはもっとずっと後のタイミングで行っていた。

だけど、今年度あえて最初から提案を軸にしたことで、生徒の「枠」や「縛り」を外して「自分たちで授業を作る」という感覚が(今のところ)生まれつつあるようで、これまでにはない新たな形のスタートが切れたように思っている。

今後、この流れを上手くサポートすることができれば、「枠」や「縛り」のない生徒たちはきっと僕の思いもよらない提案やアイディアを出してくれるだろうし、何より授業全体を「自分たちが作ったもの」として愛着をもって捉え、深く関わってくれるようになってくれる

のではないか。

「この授業、どうしたい?」

この問いを定期的に生徒に投げかけることで、今年度はこれまでよりもずっと遠くに行けるような、そんな気がしている。