【話題】安楽死と「自らの死を選ぶ権利」とモラル
この記事で思い出したのだけど、中学教員時代、「安楽死」をテーマに道徳の授業を設計したことがある。
____
対象としたのは中学2年生。
いわゆる「議論する道徳」が好きな生徒たちで、毎回とても活発な意見を出し合っていたし、その後の個々人の考察も深かった生徒たちだ。
授業の導入は、手塚治虫『ブラック・ジャック』の「ふたりの黒い医者」から。
この話はブラック・ジャックの中でもとても人気の高い作品で、映画化もされている。
子どものために安楽死を望む母と、母の命を救いたい子どもたちの話。
母は安楽死を請け負う闇の医者ドクター・キリコに、子どもたちはブラック・ジャックに仕事を依頼する。
その後、たがいにライバルだったキリコとブラック・ジャックとの葛藤が描かれ、ブラック・ジャックは母を手術で助けることに成功する。
キリコに勝利した、と思ったブラック・ジャックだったが、ラストにそれは一変する。
母と子どもたちが交通事故で即死するのだ。
笑うキリコ。
ブラック・ジャックは叫ぶ。
「それでもオレは助ける! オレが生きるために!!」
…
指導書によると、この話を通して、
- 命を粗末にしてはいけません
- 死んだら悲しむ人が必ずいます
- いつ死ぬか分からなくても一生懸命生きましょう
という内容を教えるのが授業の「ねらい」だそうなんだけど、僕はそちらには進まなかった。
…
「この話には、ブラック・ジャックっていう絶対的な医者がいたから
『じゃあこの人に頼めばいいじゃん?』ってなるけどさ
現実にはそんな人いないよね?
実際、自分や周りの人が難病になって、もう助からないことが確実だって言われたらどうする?」
と言いつつ、
と板書。
「えっと、前提として、今の日本では安楽死は選べません。
だけど、世界には安楽死を選べる国もあるし、日本でも選べるようにしたらいい、という議論もあります。
そういう意味で、安楽死については、世界中で真剣にいま“答え”を探しているわけです。
もちろん、日本でも今後はどうなるか分かりません。
だから、この授業で、少しでも自分の意見を考えてほしいんです」
「最初に、全員で「賛成」の意見を書きましょう。本当は自分は「反対」だと言う人も、まずは「賛成」の立場になって考えてみてね」
と、約3分。生徒の意見は
- 本当に助からないなら仕方ない
- 苦しんで生きるよりも安楽死の方がいいときもある
- 自分が死ぬことを自分で選べないのはおかしい
など。それらを板書し、
「次に、全員で「反対」の意見を書きましょう。さっきの賛成の意見に対する反論でもいいですよ」
これも3分。
- 本当に助からないかは分からない
- 本人が死にたくても周りの人は死んでほしくないかもしれない
- 自然に任せるべき
などの意見。
この「賛成」「反対」の往復をもう一周して、さらに深める。
そしてこの動画を日本語字幕つきで見せた。
今は消されているのだけど、当時は日本語字幕のついた動画が上がっていた。
元の言語がフランス語なので、繊細な生徒には
「見たくない人・気分が悪くなりそうな人は、顔を伏せていてね。フランス語だから、内容は分からないから」
という対応をとった。
結果として全員が最後まで見ていた。
最後に
「賛成・反対、いろんな意見を考えてくれたし、映像もいろいろと考えさせられたね。
最後に、賛成・反対は指定しないので、
『自分はこう思う』
って意見を書いて、終わりにしましょう」
と締めた。
____
最後の感想には、生徒たちの真剣な気持ちがあふれていた。
-
やっぱり自分の「死」は自分で決めたい
-
自分だったら「早く死にたい」って思うけど、家族とか大切な人なら「死なないで」って思う
-
いろんな意見を聞いて納得はしたけど、やっぱり安楽死にはどうしても賛成できません
____
…当時はこんな授業を毎週のようにやっていた。
いま思うとかなり攻めた内容もあったのだけど、生徒たちが常に全力で考え、議論してくれたので本当に楽しかったし、僕自身の考えも深まった。
その年に授業をしたテーマはどれも思い出深いけれど、
あたりは今でも深く印象に残っている。
あのときの生徒たち、元気かなあ、と週末にしみじみとしてしまった。