旅する教師の業務報告

「旅する教師」として「みんなを自由にする」活動をしています。ご査収ください。

大学入試改革への私見、あるいは「入学者選抜」ならぬ「受講者選抜」の考え方について

先日、年下の友人と鍋をつつきながら、 いつものように センター試験の悪口 を言っていた。

 
ブログの文章よりもずっと過激な批判をしていたのだけど、そんな愚痴に苛立ったのか、友人から不意打ちのように
「じゃあ、どんな大学入試の形がいいんですかね?」と聞かれた。
 
正直その瞬間にはあまりまっとうな代替案があったわけではないのだけど、それなりに現状の課題だとかを真剣に考えて、その場でひねり出したアイディアを掲載しておきたい。
こういうのを文科省の担当者とかが読んだら『素人がテキトーなこと言ってんじゃねえぞ!』とか思うのかもしれないけれど、それは生徒からの授業批判や改善案に対してキレだす教員と同じレベルっすよ、とあらかじめ逃げ道を作っておくことにしよう笑。 
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本当に現状の制度を自由に変えることができるなら、たとえばこんな仕組みはどうだろう。
  • 大学の「入学」試験は廃止
  • 入学金と授業料を払えば全員「入学」はできる
  • その代わり、大学は各授業に対して「受講者」選抜を行うことができる(もちろんしなくてもよい)
  • 「受講者」試験は、一種の検定試験のようなもので、全国共通で行われるとする
英検・TOEICや数検などと同様に、全国一律で年に数回試験が行われ(WEB受験も可能)、級・点数等を獲得するイメージ。科目のくくりも「英語」や「数学」ではなく、「英文法」「長文読解」「英会話」「リスニング」、「関数」「解析」「確率・統計」のように細かく分けられるとよりよい。
  • 「受講者」試験には、一部大学独自の科目を作成してもよい
現状のAO・推薦入試の代替としての位置づけ。たとえば「レポート作成能力」や「集団討論能力」などを測る試験を大学ごとに設置し、それにより大学独自の基準で受講者を選ぶことができる。
  • その「受講者」試験の結果を用い、たとえば「○○大学の『英文学Ⅰ』の授業は英文法△級以上、文学読解□点以上の獲得者が受講可能」のように受講者を決める
  • 各大学の発展科目等については、その大学での過去の成績をもとに受講者を決定してもよい(『英文学Ⅱ』は『英文学Ⅰ』をB以上で通過すると受講可能、など)
  • 「受講者」試験は16歳以上は誰でも受験可能で、何回受けてもよい。また、大学の入学後に新たに試験を受け直してもよい

つまり、高校2年生でも「受講者」試験に通れば一部だけでも大学の授業を受けることができるし、大学に入ったあとで「受講者」資格を増やしていって受講できる授業を徐々に増やしていってもよい。

  • そのように授業を履修しながら、在学期限内に指定の単位を獲得できれば大学卒業
という仕組み。
 
現状の入試制度と異なり、「授業を学ぶのに前提となる知識を持っているか」を測ることに特化したことで、大学入試における過度の競争を排除しつつ、学生が専門で学びたい授業については早い段階で大学の内容を履修できるようにしたのが特徴だ。
 
この仕組みのメリットは大きく7つ挙げることができて、
  • そもそもの大学入試の目的である「受験生が大学の授業を受けるために必要な能力を持っているかを測る」という点をより正確に果たすことができる

実際、文科省が公表している大学入試改革についての文書の中にも、

『共通テストの目的としては、(中略)「高等学校における基礎的な学習の達成の程度」を判定する機能を前提としつつ、(中略)大学教育を受けるために必要な能力について把握することを明確にする』

とある。

  • 受験生は「本当に進学先の大学で必要な科目」を、明確な目標をもって学習することができる
理学部志望なのに古文を勉強したり、逆に経済学部志望なのに微積を勉強しなかったり、という事態を防ぐことができる。また、自分の学びたい授業から逆算して学習を進めることができる。
  • 受験生が自分のペースや適性に合わせた学習を行うことができる
「受講者」資格を高校時代に一気に取得してから大学に入学してもいいし、一部の得意科目のみの「受講者」資格だけをとって大学に入学してから資格を徐々に増やしてもよいので、無理なく学習を進めることができる。 
  • 入学の時期がさほど意味をもたなくなるので、9月入学・卒業などへの切り替えも容易となる
  • 大学側は、授業を履修する学生の前提知識をより明確に捉えることができ、授業の質が向上する
たとえば同じ文学部でも、心理学の授業は統計の知識、歴史学の授業は日本史の知識、哲学の授業は数学の知識が必須だったりするが、既存の入試ではそれらの合計得点のみで合否が決まっていたため一つの授業に様々なレベルの学生が混在しており、授業の質を高めにくかった。 
  • 大学における「単位取得」がより意味のある概念となり、結果として大学の「卒業資格」にも実質的な価値が生まれる
一般に日本の大学は単位が取りやすく、登録して出席をするだけで単位が取得できることもあるが、授業の履修自体に制限をかけ授業の質を上げることで「単位取得」が一定水準以上の知識を保障することになる。また、それによって「大学卒業」の価値も高まる。 
  • 企業にとっても、学生の大学での成績が意味のあるものとなり、より学生の専門性に着目した採用をすることができる
上記により大学での「単位取得」に価値が生まれると、企業が大学時代の成績なども考慮に入れた採用をしやすくなる。 
 
などなど。逆にデメリットとしては、
  • 大学に入学したものの単位履修や卒業ができない学生が増える
「入学後、どのように単位を取得してどのように卒業するか」という計画性が今まで以上に必要になる。が、大学生にはそれくらいの計画性は身につけてほしい。
  • 大学が各授業ごとに受講者基準を作成するのが手間である
たしかに手間ではあるが、面倒な場合は大学の学部・学科やコースごとに決めればいいし、その場合は既存の大学入試とほぼ同じ仕組みになるので現状より悪くなることはないはず。
  • 「受講者」試験の作成・運営等の手間がある
回数を増やすのならばそのぶんの手間は増えるが、一部科目についてWEB受験を可能にして実施を簡略化することは十分可能だし、それこそ英語などはTOEICTOEFLなどの外部団体と協同して試験を作成してもよいように思う。いずれにせよ「科目ごとに何回も受けることができる」「年に何回も実施される」という試験にしてしまえば、現状ほどの厳密さは必要でなくなる。
  • 大学の淘汰が進む
すべての大学に入学はできるとすると、いわゆる「滑り止め」で選ばれていた大学などは入学者数が激減し、淘汰される可能性がある。ただ、それは大学ごとに特色ある教育の実施を促す、というプラスの側面もある。
  • 大学の「定員」や「在籍者」の概念が曖昧になる
現状、文科省からの助成金や設置認可などの行政的な処理の中では大学・学部の「定員」が重要な概念になっているが、それがほぼ有名無実化するため、新たな概念によりそれらを決定する必要がある。
(医学科や獣医学科などは特に定員に厳格なので、それを緩和させるのは大変そう。東大のいわゆる「進振」のように、大学入学後に成績等で学科を分ける仕組みなどを新たに構築する必要があるかもしれない) 
など。いろいろとツメが甘いのは自覚しているのだけど、実際やってみたらどうなるんでしょうね。
 
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まあ、このプランがそのまま採用されることはないにせよ、こんなふうに多くの人が「理想とする教育政策」を語れるようになると、社会を少しずつでも良くすることができるのかな、と思ったり。
 
……続きは来週、センター模試の監督をしながらでも考えます笑。