旅する教師の業務報告

「旅する教師」として「みんなを自由にする」活動をしています。ご査収ください。

半年くらい準備していた授業のこと、あるいは授業で生徒に教わったこと

今日の授業は久々にわくわくするくらいオモシロかった。
(最近このブログで愚痴ばかり書いているので今日はそんなテンションで笑)

授業は「人権同和教育ホームルーム」の一環で、まぁ言うなら中学校までの道徳の授業の高校版。
「人権同和教育ホームルーム」については以前に↓の記事でも取り上げた。島根県では全校を挙げて実践するのでかなり大規模になっている。 

traveling-teacher.hatenablog.jp


今回のテーマは「結婚差別」
もともと僕はこの手の授業設計が好きなこともあったし、前回の人権同和教育のときに、前述のようにかなり細かな指摘をしていたこともあったので、今回の授業は何とかより良い形で実践していきたいなぁと、半年くらい前からぼんやりと思っていた。

最初にやったのは「結婚差別」というテーマを掘り下げること。
なぜ「結婚差別」を取り扱わなくてはならないのか。前回までに扱った、被差別部落の問題や就職差別の問題とはどう違うのか。

結論は、シンプルだったが怖かった。

  • 高校生にとって「結婚差別」は誰でも関係しうる差別であること
  • 「就職差別」における高校生は被害者だが、「結婚差別」においては高校生も加害者になりうること

「生徒も加害者になりうる」というのはとても怖い発想だったけれど、これは逆に授業のテーマとして意義が深いのだとも思った。
生徒が差別の被害者になってしまうのは学校の授業では必ずしも止められないが、生徒が無意識のうちに加害者になってしまうのは授業で防止することができるから。

そんなことを8月くらいから本格的に考え始めて、授業の軸はすんなり決まった。

  • 『心のどこかで差別をしているかもしれない』自分に気づくこと
  • その自分と対峙し、今後の自分の行動につなげていくこと

大きくはこの2つ。

ここから、授業のメインの構成が決まった。
国籍、人種、出身地、職業、宗教や家族の病気、家庭環境など、数々の日本の差別の事例を紹介しつつ、
『これらの差別は憲法や法律で禁止されています』

『…でもこれ、みんな、本当に気にならない?』
『友だちが「私の結婚相手○○なの」と言ったとき、ドキッとすること、ない?』
と訴えかける形式。

正直、ここはかなりの冒険だった。
結婚差別について、どこまで生々しく紹介するのか、どこまで切り込んで訴えかけるのか。いろいろと悩んで、先生方と協議を重ねて、最終的にはややマイルドに仕上げていった。

で、今日の授業。

個人的に、良かったポイントは3つあると思っている。

  1. 生徒が本心を出してくれていたこと
  2. 一緒に授業を相談した先生方も本気で授業のことを考えていたこと
  3. 生徒が「差別を授業で扱うこと」そのものに問いを投げてくれたこと

『心のどこかで差別をしているかもしれない』自分に気づく、というのはかなり挑戦的なテーマではあったし、そもそも見つめようと思うかどうかは本人次第なので、どこまで生徒が本心を出してくれるかは直前まで不安だった。
(不安すぎて授業パターンをいくつも頭の中でシュミレーションしていた)

生徒たちに
「ここは頼むから、本心で、自分に向き合って、思うことを書いてください」
と言ったあとの張り詰めた空気は、それだけで感動的だった。

授業中にふと出た生徒からの質問も、グループでの議論も、その発表も、最後に書いてもらった感想も、一つひとつから真剣さが伝わってきて、嬉しくてたまらなかった。


生徒だけではなく、一緒に準備をしてくれた先生方もみんな、本気になってくれていた。

特に1人の先生とは、夏休み明けくらいからこの授業のアイディアを話しては議論して、これは伝えるべき・やめるべきとあーだこーだと話していたのだけど、そこで出た考えを授業の中でのフォローとして話してくれたり、机間指導の中で生徒と対話してくれたり、すごく嬉しかった。


そして最後に、生徒からの根本的な問いと、授業への批判。
「差別についての授業なんてやってるから差別がなくならないんですよ」

たしかにそうだと思った。
僕も授業ありきで考えていた。
この発想が最初にあれば、「差別」という言葉を使わない・全然違う方向性での授業ができて、結果としてより良い形で「差別をなくす」こともできたかもしれない。

すごく良い探究課題を提示された気持ちだった。

長い期間、本気で考えて準備をして、先生方の意見もたくさん聞いて、最後に生徒に教わった、本当にわくわくする授業だった。

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ここからは、今回の授業を計画・実践するうえで僕が考えていたことを書いていく。

結婚差別について、昔は「実家が農家」だとか「親が離婚している」ってだけで本当に差別されていたし、今でもネットを少し検索すると、こんな記事(「放射能地域の人、結婚しない方がいい」 「日本生態系協会」会長発言が波紋 : J-CASTニュース)やこんな投稿(片親の人と 結婚するのがいやなのですが、僕の考えは間違っているでし... - Yahoo!知恵袋)が出てくるし、誰も大声では言わないけれど2年もの間ニュースになっては世間が騒いでいるこの結婚(小室圭さんと眞子さま「予定通り結婚」濃厚!あの文章が決定打…元婚約者は体調不良、借金問題も… - TOCANA)がまだ実現していないのは正直差別でしかないと思っている。

だからたぶん、今日授業で取り上げた差別も、まだ簡単にはなくならない。残念ながら、生徒はその社会の中を生きなければならない。

でも、だからこそ、やはり差別の「加害者」側にはならないでほしい。偏見とか、ステレオタイプとか、ラベリングとか、そういう心は誰しもある(僕にももちろんある)けれど、そこから少しの心がけで「差別」を回避することもできる。

とにかくそこを伝えたかった。


授業の中で言えなかったことはほかにもある。

本当に「差別をしない人になる」ためには、常に情報をアップデートしなければならない。

ある時代の「常識」的な行動が、次の時代には「差別」的な行動になっている例はいくらでもある。
たとえば25年前の日本では「LGBTの方の人権」なんて話題にもならなければ考える機会もほとんどなかったし(なんならLGBTの方を揶揄して嘲笑するようなテレビ番組がたくさんあった)、さらに前の時代は一部の病気の患者さんが法的に差別されていて、もっと前は国籍や出身地や民族による差別だって「当然」と見なされていた。

だからもちろん、今の時代の僕らの「常識」的な言動だって、次の時代には「差別」的な言動になっているかもしれない。

ポリアモリーの方の人権が周知されれば「結婚は2人でするもの」という「常識」も変わっていくかもしれないし、2次元のキャラクターとの恋愛や結婚が認められれば「結婚は実在の人と行うもの」という「常識」だって「差別」と見なされてしまうかもしれない。

今の自分が『これなら大丈夫』と自信を持って言えることも、次の時代には変わっているかもしれない。

だからこそ、常に新しい情報を得ながら、自分の知識や感覚をアップデートしていかなければならない。

 

  • 自分の心を見つめ直し、言動を振り返ること
  • つねに知識や感覚を磨いていくこと

これはもはや、人生全体で大切にしてほしいことなのかもしれない。