旅する教師の業務報告

「旅する教師」として「みんなを自由にする」活動をしています。ご査収ください。

【話題】今までの日本の教育の失敗についてデータを通して向き合ってみた。あるいは「教育の目的」を意識した教育活動の必要性について

先週、Facebook『日本人の3分の1は日本語が読めない』というちょっと衝撃的なタイトルの記事が回ってきた。

このニュースを読んでから、これって一体どういうことなのかを考えていた。

いわく、OECDの国際成人力調査(PIAAC)の結果を分析すると、

  1. 日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない
  2. 日本人の3分の1以上が小学校3〜4年生以下の数的思考力しかない
  3. パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない
  4. 65歳以下の日本人の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない

ということらしい。

まあ僕自身はこういった調査の専門家でも何でもないし、実際に使われた問題も非公開とのことなので、この結果が良いのか悪いのか、ということにはさほど興味がない。

むしろ僕が気になったのはこの記事の後半部分で、それによると

  • 上記の結果にも関わらず、日本の成績はOECDの先進諸国のうちほぼすべての分野で1位だった
  • イタリアとスペインは特に点数が低く、大卒者の得点が日本の高卒者の得点以下となっている
  • しかし、日本の労働生産性は先進7カ国の中でもっとも低く、イタリアやスペインよりも低い

とのことだった。

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これをどう捉えればいいのだろう。

とりあえず言えるのは、

  1. 日本の教育を通して日本人が身につけられているスキルは(想像よりも低いけれど)先進諸国では一定の水準を確保できている
  2. それにもかかわらず日本の労働生産性はずっと低迷している

ということ。

あれ、これってもう、日本の教育の方向性が外れまくっていたってことでしか無いんじゃないか、と直感した。

前々から少しは頭にあったのだけど、このニュースで確信を得てしまった。この記事に出てこないいろんなデータを合わせてみると、その傾向が悲しいくらいよく分かる。

伝統的に日本の教育が重視している「知育」「体育」「徳育」の3つの要素について、その特徴と結果を大まかに整理してみると

【知育】
特徴:高度な知識詰込み型教育を行う
結果:学術的には世界大学ランキングで日本の大学は世界TOP30にも入れず(ノーベル賞受賞者の輩出率も低い)、産業的にも日本企業のパフォーマンスは低下し、すべてを合わせた労働生産性も先進国最低

参考:

【体育】
特徴:中学・高校での部活動などを中心にスポーツの機会を幅広く提供する
結果:トップアスリートでは、オリンピックでの人口あたりメダル数でほぼ先進国最低、日常的にスポーツに親しむ人口も少ない

参考:

徳育
特徴:生徒の生活全般や道徳性等も公教育の対象とする
結果: 殺人発生率が低いなど治安はよく、「協調性」も高いものの「自己肯定感」や「幸福度」などが目立って低く、自殺率も高い

参考:

…と、こんな感じになる。

 

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ちなみに最後の徳育については、詳しいデータを見てみると

  • 10万人あたりの殺人率…日本(0.28)、アメリカ(5.35)、イギリス(1.20)、ドイツ(1.18)、フランス(1.35)、イタリア(0.67)
  • 10万人あたりの自殺率…日本(18.5)、アメリカ(15.3)、イギリス(8.9)、ドイツ(13.6)、フランス(17.7)、イタリア(8.2)

となっている。

「人に殺される可能性が高い社会」「自殺する可能性が高い社会」とどちらが良いかは両論ありそうだけれど、とにかく「先進諸国と比較したときに目立って良い状態にあるわけではない」ということは言えそうだ。

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ここまでデータが揃うと、はっきり言えると思う。

「これまでの日本の教育の方向性は間違っていた。少なくとも”良い成果”という形には現れていない」と。

もちろん、この結果は既存の教育全体を否定するものではないし、データに現れていないだけで、上手くいっている部分もたくさんあるのだろう。

しかし、この状況が良いものであって、このままの方向性を継続することでより良い社会に向かっていくとは、僕には到底思えない。

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最初のニュースに戻ろう。

この記事では、日本人の労働者としての基本的な能力は(少なくとも他の先進国よりは)高いが、それが肝心の労働生産性に結びついていないと指摘していた。

思うに、日本の教育は、それぞれの教育活動を行う上での「目的」を忘れてしまっているのではないか。

例えば
「知育」なら「新たな知識や技術を生み出す人材を育てること」「知識労働者を育成し社会の労働生産性を高めること」、
「体育」なら「トップアスリートを育成すること」「日常的にスポーツに親しみ健康的な身体を維持できる社会人を育成すること」、
徳育」なら「人々がより生きやすい社会の構成員となること」「自分の人生をよりよく生きること」
などが目的となりうるだろう。(異論は歓迎する)

しかし、そのような最終的な「教育の目的」を考えたり、意識したり、また達成度合を確認したりしながら日々の教育活動に落とし込むことが、少なくとも現場レベルでは非常に少ない。(もちろん文科省の学習指導要領には書いてあるのだけど、それを意識する機会が定期的にあるわけでもないし、文科省もそれをもとに教育政策の現状を大々的にチェックしたりしているわけでもない)

この、「目的意識の欠如」が日本の教育の”失敗”の根本にあるのではないか。だからこそ、少なくとも他国との比較では成果が全然出ていないのに、そのような危機感すらまともに語られることが少ないのではないか。

僕自身、先のビジョンが見えているわけでも何でもないけれど、
「現状の教育が非常にヤバいということを認識・共有すること」
「教育の目的を吟味し、それを見据えた教育活動を現場レベルで展開していくこと」
この2つから始めていくしかない気がする。