旅する教師の業務報告

「旅する教師」として「みんなを自由にする」活動をしています。ご査収ください。

学校のチャイムは何のためにあるのか、あるいは議論の揚げ足をとりまくる不毛さについて

そういえば、最近はチャイムのない学校にしか勤務していない。

現任校も、一つ前の勤務校も、いわゆる「ノーチャイム」だった。
(たしか)その前の勤務校にはチャイムがあったと思うのだけど、あまり覚えていない。

 

まあ、そういう意味で僕自身はノーチャイムに慣れきってしまったのだけど、特に初めてノーチャイムの学校に勤務する先生方にとっては、「チャイムの無い中で学校の時程が過ぎていく」というのは衝撃的なシステムらしい。
(そういえば僕も最初にノーチャイムの学校に勤務したときはそう思ったような。忘れたけど)

 

だから、というか、職員室でも

「うちの学校、なんでチャイムがないんですかね?」
「チャイムがあるなら使えばいいんじゃないですか?」

なんていう話題がたまに出てくる。
(実際、勤務校にも機能としてのチャイムは設置されていて、たとえば試験の日などはチャイムを使って行動している)

 

そういった話題のたび、僕個人としては

「チャイムがないことで自主性・自律性を高めている」
「チャイムがある状態からせっかくノーチャイムにしたのだから後戻りは避けるべきだ」

なんていう意見を述べつつ、チャイム導入には反対の立場を取ることが多かったのだけど、どうも自分でも納得がいっていない部分もあり、そのあたりをもっとしっかり考えてみたくなった。

 

 

で、考えてみた結果、出た結論は

チャイムがあろうがなかろうがどっちでも変わらないんじゃないか

ということ。

 

うん、元も子もない。

 

なぜこんな結論になったかというと、想定されうる「チャイム導入派」「ノーチャイム派」の根拠となる議論のほとんどが怪しいものだと思えてきたからだ。

実際に例をあげてみると、

【チャイム導入派】

  • チャイムがあると時間通りに授業が始められる
    ▶ これはチャイムの有無とは無関係。ノーチャイムでも先生が教室にいれば始まれるし、チャイムがあっても先生が遅れてくれば始まらない。また、授業中に学習に向かう姿勢を育てていれば、先生がいなくても授業は「勝手に始まっている」。
  • チャイムがあることで、時間を守る意識が高まる
    ▶ 根拠が薄い。逆にチャイムがあると「チャイムに合わせて従うだけ」という意識のもとに動くので、「時間を(意識的に)守る」という意識は低くなるのではないか。
  • チャイムがあると、メリハリがつく
    ▶ 根拠が薄い。 授業時間と休み時間の区別は、授業の号令等、担当の教員の裁量でいくらでもつけることができるし、実際生徒はチャイムよりも号令などを基準にその区別をつけているのではないか。
    ▶ また、メリハリは悪い方向にもつく可能性がある。本来、「学習」と「生活」は不可分なものであるはずなのに、メリハリが「ついてしまっている」と、休み時間にも授業内容を考え続ける、といったことが起きにくくなる可能性もある。
  • チャイムがあると聴覚情報にも訴えることができるので分かりやすい
    ▶ これは確実に言える

【ノーチャイム派】

  • チャイムがないことで、自分で時計を見て動く癖がつく
    ▶ 根拠が薄い。たとえば生徒が「この休み時間中に○○ができるか」ということを判断する場合は、チャイムの有無に関わらず時計は見て動かないといけないし、時計を見る回数に変化は想定しづらい。
    ▶ また、「自分で時計を見て動く癖」が本当に必要なのかも議論は必要。社会人ならば大事な用事はアラームをかけて対処するわけで、その癖があってもなくても特に困らないはず。
  • チャイムがないことで自主性・自律性が育つ
    ▶ 根拠が薄い。結局、チャイムがなくても「決められた時程を決められたように過ごす」ことには変わりないので、そこに自主性も自律性も存在しない。
  • 「チャイムあり」→「ノーチャイム」と進歩したのだから、元に戻すのは退化だ
    ▶ そもそもノーチャイムも広い意味での「実験」だったわけで、戻るのはさほどネガティブでもない。
  • チャイムを使わずに回っているのだから使わなくてよい
    ▶ そうとも言えない。(何らかの力を育てるという名目はあるにせよ)せっかくある「便利なもの(チャイム)」をわざわざ使わずに教育だと言い張るのは、一般の大人相手に「暗算力を鍛えるために電卓やパソコンを使わないように」と言っているようなもので、不自然。また、(上述の通り)育てられる「力」についての根拠も薄い。
  • チャイムがあると学校が窮屈・不自由に感じる
    ▶ チャイムとは無関係。上述のように、現状の学校はそもそも「時程」という縄に縛られているので、窮屈であり不自由。チャイムがあるとそれが顕在化しやすいだけで、本質は変わらない。
    ▶ また、生徒が学校を窮屈・不自由に感じるのは教員の管理欲求・支配欲求によるものが理由の大部分を占めるので、チャイムの有無による効果はごくわずか。
  • チャイムがあると、急な日程変更に対応しずらい
    ▶ これも、確実。

 

……ということで、僕の中で納得できる論拠は「分かりやすさ」と「日程変更への対応」のみ。

 

どっちでもいいじゃん。  ←いまここ