高校生のプロジェクトの“伴走”について(2020年2月現在) あるいは自分が受けてきた“伴走”について
この話題は2月の末に投稿したかったのだけど、いつの間にか新年度。
勤務校は3月は臨時休校もなく、学校業務も比較的安定していたのだけど、そういう時期よりも業務がばたばたしているときの方が執筆意欲が湧くから不思議だ。ということで、今回は生徒の「探究活動(プロジェクト学習)」と教員の関係について、2020年2月時点の僕の考えをまとめておきたい。
投稿しているのは4月だけれど、2月末に関わった大きなプロジェクトを経てまとまった考えで、さらにその背後には勤務校に赴任してから関わった数々のプロジェクトがあることを念頭にお読みいただきたい。
高校教員になってからというもの、生徒たちの「探究活動」やプロジェクトの“伴走”ということを多くやってきた。
“指導”ではなく、“先導”でもなく、“支援”ともちょっと違う“伴走”。
要するに、生徒のプロジェクトの目標に向かって一緒に走る、ということ。
…とまあ、簡単に言えばそうなんだけど、これが、本当に、とても難しい。
生徒のプロジェクトに対して、教員は何を・どのように“伴走”するべきか。
生徒の「探究活動(プロジェクト学習)」を非常に重視している勤務校において、それを僕は様々な機会で考えてきた。
もちろん、まだまだ分からないことはたくさんあるし、今「分かった」と思っていることを1年後にも同じように思っている保証もないのだけど、とりあえずの今の考えをまとめておきたい。
「問い」は大きく3つに分けられる。
- プロジェクトの“伴走”を行う目的はなにか
- 何を“伴走”するべきか
- どのように“伴走”するべきか
以下、これに従って考えを書いていく。
“伴走”を行う目的はなにか。
これに、僕は明確な答えを持っている。
「プロジェクトが終わったときに、生徒が『次のプロジェクト』を行いたいと思えるような状態にすること」
これが僕なりの「“伴走”の目的」である。
大事なのは、目的が
「プロジェクトを成功させること」でも
「プロジェクトを失敗させないこと」でもないこと、ましてや
「プロジェクトを“落とし所”へと導くこと」では絶対にないことだ。
当たり前だけれど、生徒たちにとって高校時代のプロジェクトや「探究学習」なんて長い人生のちっぽけな経験だ。正直、そこで成功しようが失敗しようが、その結果自体はどうだっていい。そのときのプロジェクトが大失敗に終わっても、次のプロジェクトでそれが改善できれば全然問題ないのだから。
だからこそ、プロジェクトが終わったとき、生徒に
『次のプロジェクトでは……』
と思わせることが、“伴走”者の第一の目的となるのだと思う。
もちろん、成功体験があった方が「次のプロジェクト」に向かう生徒もいれば、失敗をバネに「次のプロジェクト」に向かう生徒もいる。
『今回は先生に手伝ってもらって実現できたから、次回は先生なしでもできるようにしたい』と思う生徒もいるし、『先生が手出しばっかりしてきてつまらなかった。もうやりたくない』と思う生徒もいるだろう。
だから、同じ中身のプロジェクトでも“伴走”の仕方は当然変化する。
『どのような“伴走”をすれば、この生徒は「次のプロジェクト」に取りかかろうと思うのか』
それを常に自問自答しながら、生徒への声がけやサポート内容を柔軟に変化させていくのが、“伴走”者の勤めなのではないかと僕は思う。
では、その上で、何を“伴走”するべきか。
僕はこれをプロジェクトのフェーズで捉えるようにしている。
フェーズの分け方にはいろいろあるけれど、僕は大きく、以下の4つのフェーズで考えている。
- 0→1 のフェーズ:最初に企画を創出する
- 1→30 のフェーズ:とりあえず最低限の形にする
- 30→80 のフェーズ:ブラッシュアップを重ねていく
- 80→100 のフェーズ:より高みを目指していく
このうち、“伴走”者がプロジェクトに積極的に関わるべきなのは「1→30」と「80→100」のフェーズのみだと僕は思っている。
どうしても必要なときに「30→80」に多少手を貸すことはあってもいいかしれないけれど、少なくとも「0→1」には決して手を出してはいけない。
理由はなぜか。
まず、「0→1」や「30→80」に関わることは、「次のプロジェクト」への悪影響が大きくなりすぎると考えられる。
「0→1」への介入はプロジェクトを「生徒のもの」ではなくしてしまうし、「30→80」への介入はプロジェクトを自分の手で改善していく楽しみを生徒から奪ってしまうだろう。
大体の場合、プロジェクトの自分事感をいちばん生み出すのは「0→1」フェーズだし、プロジェクトがいちばん楽しいのは「30→80」のフェーズだ(もちろん例外はある)。
逆に「1→30」への関わりは生徒が「立ち直れないほどの失敗」をしてしまうリスクを減らすことができるし、「80→100」に関わることで生徒に「プロジェクトのさらなる高み」を感じさせることができる。
すべては、「生徒の『次のプロジェクト』のため」。
それが大原則なのだと僕は思う。
最後に、その内容を、どのように“伴走”すべきか。
これについては、上でも挙げたように“伴走”相手の生徒や集団の特性によって大きく変わっていく事柄なので、大きな指針というか、心構えのようなものを挙げるに留めておきたい。
私が思う、“伴走”者のやるべきことは以下の6点である。
- つねに相談できる物理的・心理的位置にいること
- 「落とし所」を考えず、本気になってプロジェクトのことを考えること
- 実際に動くのは手助けの声が出てからに限ること
- 「どのようにサポートするか」ではなく「どうやってジャマをしないか」を考えること
- 「提案」「アドバイス」以上のこと(特に「決定」)をしないこと
- 時には一人のプレイヤーとして動く覚悟を持っておくこと
このようにまとめてみると、“伴走”者には「プロジェクトを自分事化すること(1・2・6)」と「プロジェクトの進行を横で見守ること(3・4・5)」という、相反する二面性が求められるのだと思う。
上で述べたフェーズの話と絡めると「1→30」と「80→100」では「自分事化」が、「0→1」と「30→80」では「見守ること」が大事になるのだとも言えるかもしれない。
僕ももちろん例外ではないのだけれど、“伴走”者はそんなことを常に頭に置いておきたい。
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思い返すと、僕が勤務校に赴任した当初、僕がやっていた“伴走”は、上で挙げたような“伴走”とはほど遠いものだった。
だけどそういった“伴走”を続ける中で、根気強い生徒たちによって多くのことを教わることができたし、それに合わせて自分の考えも自然に変化していった。今の僕の授業スタイルも、そんな生徒たちとの「探究活動」の経験がなかったら生まれなかっただろうとも思っている。
「探究活動」やプロジェクトの“伴走”を振り返っていたら、自分の教員としての成長の横に、常に生徒たちが“伴走”してくれていたことに気づいた。