ニュースより 〜教員の仕事は成果主義になるべきか
この記事。
「日本の公教育の崩壊が、大阪から始まる:子どもの学力テストの成績で教師が査定され、使い捨てされる時代がやってくる」
https://webronza.asahi.com/business/articles/2018111900010.html
まぁ、簡単に記事を要約すると
「大阪市が全国学力テストの結果で教員の待遇(人事とかボーナスとか)を決める仕組みをとろうとしているけど、それってアメリカとかじゃ完全に時代遅れの考えだし、教員志望者がただでさえ少ない大阪市でそれをやったら教育現場が崩壊するよ」って話。
基本的な方向では賛成だ。全国学テ(←教員業界ではなぜかこう略される)でそんな大事なことを評価されたら、現場が歪んでいくのは間違いない。全国学テはPISA的な学力観をもとに作られたテストだから、いわゆる受験的な問題とは傾向が違っているし、中学校の先生方はきっとそこらへんで今以上に板挟みになる。というか、そもそも小6と中3の4月にしか行わないテストでどうやってデータを収集するんだ?という疑問もある(小6のテストでいい成績だったら、小1から小5までのすべての担任が評価されるってことだろうか。小学校の先生は転勤頻度が高いから大変だぞ…)。
でも。
じゃあ教員の評価が現状のままで良くて、成果主義的な要素がまったく必要ないのかというと僕はそれも違う気がしている。
教員は基本的に、「職(講師・教諭・教頭・校長など)」と「経験年数」、あと少しの学歴によって給料が決まってくるのだけど、それって本当に好ましいのか? と思うことは少なくない。
それぐらい、教員間でのパフォーマンスの差は大きい。「この先生がいれば学年全体、むしろ学校全体が安心だ」と思える先生もいるし、「ちょっとこの人、大丈夫…?」と思ってしまう先生もいる(そう言う僕は、昔も今も周りに迷惑を振りまいている教員だけれど)。前者の先生より後者の先生の方が評価される仕組みをつくるのはそんなに不公平なことだろうか。
一般企業は成績がよかったらボーナスになったり昇進に結びついたりすることがあるけど、教員にそれはないし、むしろ優秀な先生ほど現場に残っていたりする(教頭や校長になるには試験が必要だ)。
もちろん教員の評価は難しい。でも、たとえば同僚や管理職、保護者や生徒からの主観的評価だったり客観的な指標(学テの結果だけでなくQUテストなども)だったりを組合せて評価をすることは不可能ではない気がする。
(ちなみに現状でも管理職による評価はある自治体は多いけど、それがまともに機能している事例を僕は知らない)
そうすれば、人事等に関して一部からの声によって不公平な判断がなされることも少なくなるだろうし、将来的には学校ごとの教員配置がより適正化されることもできそうだ。
…どこかやってみてくれないかなあ。