授業における「自由」と「放任」についてぐだぐだと
毎学期とっている生徒からの授業アンケートに興味深いコメントがあった。
(僕の現在の授業形式についてはこちら↓)
traveling-teacher.hatenablog.jp
「自由」と「放任」は違う。先生は「放任」はしていないと思うけど。
……ここで止まっているので生徒がこのあと何を書きたかったのかは分からないのだけど、いろいろ考えさせられてしまった。
授業における「自由」と「放任」の違いってなんなんだろう?
とりあえず辞書によると、
【自由】他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っている・こと(さま)。(以下略)
と
【放任】干渉せずにほうっておくこと。成り行きにまかせておくこと。
ということらしい。
……ん、あれ、僕「放任」してるじゃん。干渉せずにほうっておいているし、成り行きにまかせてもいる。
でも、「自由」な授業でもあると思っている。他からの強制・拘束・支配を受けず、生徒が自らの意志や本性に従えるような環境もつくっているつもりだ。
というかそもそも「自由」と「放任」って(よく並べて論じられるけれど)対立する概念じゃあないんじゃないか。
だいいち、2つの単語は主体が違う。「放任」をするのは管理者(授業の場合は教員)だけれど、「自由」は生徒が感じて初めて成立する。いくら『自由にしていいよ』と教員が言ったところで、生徒が自分の意志や本性に従えないような状態なのであれば「自由」とは言えないからだ。
その意味で、僕の授業は「生徒が自由に学べるように放任している」とも言えるのかもしれない。授業中に生徒がどういうことをしていようと、基本的には干渉しないし、成り行きに任せる。でも、他の生徒が自由に学べない状態になっているときには指摘するし、生徒が困っていると表明してきたら可能なかぎり助ける。
うん、最初の生徒のコメントとは異なるけれど、僕は生徒を「放任」しているのだ、きっと。少なくとも、「放任」の対義語である「管理」はしていないつもりだし、する気もない。
「放任」という言葉が世間的にはどちらかというとネガティブなイメージなのは、たぶん「管理」がもてはやさた時代の名残だ。『そんなのはただの「放任」だ!』なんていうどっかのドラマのセリフが「放任」を悪者にした。
「管理」にポジティブな面とネガティブな面があるように、「放任」にもポジティブな面とネガティブな面がある。僕は「放任」に舵をきって、そのポジティブな面を最大化していきたいと思う。
生徒の「自由」のために。