【話題】安楽死と「自らの死を選ぶ権利」とモラル
この記事で思い出したのだけど、中学教員時代、「安楽死」をテーマに道徳の授業を設計したことがある。
____
対象としたのは中学2年生。
いわゆる「議論する道徳」が好きな生徒たちで、毎回とても活発な意見を出し合っていたし、その後の個々人の考察も深かった生徒たちだ。
授業の導入は、手塚治虫『ブラック・ジャック』の「ふたりの黒い医者」から。
この話はブラック・ジャックの中でもとても人気の高い作品で、映画化もされている。
子どものために安楽死を望む母と、母の命を救いたい子どもたちの話。
母は安楽死を請け負う闇の医者ドクター・キリコに、子どもたちはブラック・ジャックに仕事を依頼する。
その後、たがいにライバルだったキリコとブラック・ジャックとの葛藤が描かれ、ブラック・ジャックは母を手術で助けることに成功する。
キリコに勝利した、と思ったブラック・ジャックだったが、ラストにそれは一変する。
母と子どもたちが交通事故で即死するのだ。
笑うキリコ。
ブラック・ジャックは叫ぶ。
「それでもオレは助ける! オレが生きるために!!」
…
指導書によると、この話を通して、
- 命を粗末にしてはいけません
- 死んだら悲しむ人が必ずいます
- いつ死ぬか分からなくても一生懸命生きましょう
という内容を教えるのが授業の「ねらい」だそうなんだけど、僕はそちらには進まなかった。
…
「この話には、ブラック・ジャックっていう絶対的な医者がいたから
『じゃあこの人に頼めばいいじゃん?』ってなるけどさ
現実にはそんな人いないよね?
実際、自分や周りの人が難病になって、もう助からないことが確実だって言われたらどうする?」
と言いつつ、
と板書。
「えっと、前提として、今の日本では安楽死は選べません。
だけど、世界には安楽死を選べる国もあるし、日本でも選べるようにしたらいい、という議論もあります。
そういう意味で、安楽死については、世界中で真剣にいま“答え”を探しているわけです。
もちろん、日本でも今後はどうなるか分かりません。
だから、この授業で、少しでも自分の意見を考えてほしいんです」
「最初に、全員で「賛成」の意見を書きましょう。本当は自分は「反対」だと言う人も、まずは「賛成」の立場になって考えてみてね」
と、約3分。生徒の意見は
- 本当に助からないなら仕方ない
- 苦しんで生きるよりも安楽死の方がいいときもある
- 自分が死ぬことを自分で選べないのはおかしい
など。それらを板書し、
「次に、全員で「反対」の意見を書きましょう。さっきの賛成の意見に対する反論でもいいですよ」
これも3分。
- 本当に助からないかは分からない
- 本人が死にたくても周りの人は死んでほしくないかもしれない
- 自然に任せるべき
などの意見。
この「賛成」「反対」の往復をもう一周して、さらに深める。
そしてこの動画を日本語字幕つきで見せた。
今は消されているのだけど、当時は日本語字幕のついた動画が上がっていた。
元の言語がフランス語なので、繊細な生徒には
「見たくない人・気分が悪くなりそうな人は、顔を伏せていてね。フランス語だから、内容は分からないから」
という対応をとった。
結果として全員が最後まで見ていた。
最後に
「賛成・反対、いろんな意見を考えてくれたし、映像もいろいろと考えさせられたね。
最後に、賛成・反対は指定しないので、
『自分はこう思う』
って意見を書いて、終わりにしましょう」
と締めた。
____
最後の感想には、生徒たちの真剣な気持ちがあふれていた。
-
やっぱり自分の「死」は自分で決めたい
-
自分だったら「早く死にたい」って思うけど、家族とか大切な人なら「死なないで」って思う
-
いろんな意見を聞いて納得はしたけど、やっぱり安楽死にはどうしても賛成できません
____
…当時はこんな授業を毎週のようにやっていた。
いま思うとかなり攻めた内容もあったのだけど、生徒たちが常に全力で考え、議論してくれたので本当に楽しかったし、僕自身の考えも深まった。
その年に授業をしたテーマはどれも思い出深いけれど、
あたりは今でも深く印象に残っている。
あのときの生徒たち、元気かなあ、と週末にしみじみとしてしまった。
「キャリアプラン」を「検討」すること、あるいは「進路」を「指導」すること
勤務校には「キャリアプランニング検討会」という会がある。
その会では生徒が書いた希望進路先などを見ながら、教員がその内容に対する提案や情報共有、懸念点などを発言していくのだけど、その会に出席していて毎回思う。
『大卒→教員 というキャリアしか知らない先生方がほとんどなのに、生徒たちはその先生方に自分のキャリアプランを“検討”してほしいと本当に思っているのか?』
『というか、キャリアプランってそもそも他人に“検討”してもらうものなのか?』
…
もちろん、
「キャリアプランについて迷っているのでアドバイスをしてほしい」
と自分から言ってきた生徒に対して、先生方の見解でアドバイスをすることは大切なことだと思う。
だけど、生徒本人が特にアドバイスを求めてもいないのに、
進路希望先や家庭の状況などの個人情報等を多くの教員に晒し、議論され、自分の今後のキャリアに対して
「先生方の“検討”の結果、○○という方向はどうかと意見が出ました」
と報告されるのは、ちょっとムリヤリが過ぎないか、と僕は思う。
少なくとも僕が生徒だったら、……とても嫌だ。
原則を確認する必要があると思う。
生徒のキャリアをプランニングするのは、あくまで生徒本人。
それに加えて、生徒が未成年の場合に保護者の意向が入るのも仕方ない。
それ以外はいわば「参考意見」であり「オプション」だ。
だから、生徒のキャリアプランニングに学校や教員が入り込むのは、あくまで「本人・保護者に求められたとき」だけでいいんじゃないか。
あえて公式の場で、全員の生徒に対して「キャリアプランを“検討”する」という行為は必要ないんじゃないか。
ちなみに補足しておくと、同様の「検討会」は県内のほとんどの高校で行われているとのことで、学校によってはこの「検討会」での決定が相当な強制力を持つケースもあるらしく、勤務校のように「最終的には本人の決定に委ねる」という形での「検討会」はむしろ「自主性を重んじている」部類に数えられるらしい。
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「進路指導」もそうだ。
生徒の「進路」は「指導」してはならない、と僕は思う。
各種国語辞典に
しどう【指導】
とあるように、「指導」という単語には、目指すべき「目的」や「方向」が意図されている。
その意味でやはり、生徒の「進路」は「指導」してはならないのではないか。
一方で文科省が
『変化が激しく将来の予測が困難な時代にあってこそ、子供たちが自信を持って自分の人生を切り拓き、よりよい社会を創り出していくことができるよう、必要な力を確実に育んでいくことが求められている』
という言い方をしておきながら、生徒が将来的に進む道(進路)については「目指すべき目的や方向に向けて教え導く」、というのはどうにも矛盾している気がしてならない。
生徒全員対象の「キャリアプランニング検討会」は、希望者対象で相談相手の教員も自分で選べる形式の「キャリア相談会」に、
「進路指導」は必要なときに自由にアクセスできる「キャリアアドバイス」に、
それぞれ発展的に変更させていくことはできないものだろうか。
そうやって、生徒が自分の進路目標に向かう姿をサポートしていくことが、教員にとって大事なんじゃないかと僕は思う。
【島生活】カワハギは肝醤油か、味噌汁か
今日、授業が始まる前に生徒たちと世間話をしていて、
「この前、魚屋さんで大きいヨコワを買っちゃったから、最近毎日マグロ丼なんだよねー」
とか言っていたら、島出身の生徒が一言、
「え…、あの…、魚って、買うものだったんですね…?」
…、…う、うん。
彼女にとって「魚」は「近所の人からもらうもの」とのこと。久々のカルチャーショック。
で、引き続きのヨコワウィーク。
…と言いたいところなんだけど、昨日の晩に友人らとヨコワパーティーをした関係で、そろそろヨコワも終わりが見え始め、魚屋さんに買い出し。
カワハギ。
4匹計1000円。(都会では1匹1200円とか言うウワサなのだが本当なのだろうか)
買った。
肝を取ってさばく。
今日は4匹で20分くらい。カワハギはその名の通り皮をはぐのがめっちゃ楽。
カワハギの肝はうまい。煮てもうまいし、生で肝醤油にしてもうまい。
魚の肝と言えばアンコウの肝が有名だけど、島の人から聞いた話だと、カワハギの肝は旨味成分がアンコウの4倍含まれているらしい。
2年前に初めて島でカワハギを食べたときは本当にびっくりした。刺し身も肝醤油も単体でもとてもおいしいのに、その2つが混ざってさらに未知の味へと変化する、驚き。
(あまりにもおいしかったので僕はカワハギを食べ終わった直後に魚屋さんに走り、カワハギを買った)
まぁ、そんなカワハギの肝だけど島の人たちには実は苦手な人も多くて、普通に捨てられたりもする。もったいない。
そして島の人はカワハギを刺し身ではあまり食べずに味噌汁にする。刺し身でおいしい魚を味噌汁の具にすることに最初はとても違和感があったけど、食べたら納得。カワハギの味噌汁、やばい。
てことで今日の夕飯はこれ。
- カワハギ刺し身+肝醤油
- カワハギ味噌汁
- ヨコワ刺し身
- ご飯
味噌汁は上手にできた。明日の朝も楽しみ。肝はまだ余ってるし、夜は肝の煮付けでも作ろうかしら。
【センター試験2020】数学ⅡB問題レビュー、あるいはただの憂さ晴らし
昨日、深夜のテンションでセンター数学ⅠAの問題を辛口にレビューしていたら思いのほか楽しかったので、調子に乗ってⅡBもやってみます。今度はシラフです。
参考:
あ、「上から目線の辛口批評」ってのがこのシリーズのテーマなので、基本理不尽ですし、そこらへんの苦情は受け付けないんで! 悪かったね!!
センター試験(2020年度・本試験)数学ⅡB
第1問〔1〕 ヤマ場のない三角関数のベタ問だからマジでコメントしづらいぜよ
- つまらない。
- (1) どこかの参考書に載ってそう。
- 「加法定理を用いると」「三角関数の合成を用いると」ってずいぶんサービスしてくれたね。
- でも第1問の最初はこれくらい見慣れた問題でもいいかもね。
- まあまあやるじゃん、つまらんけど。
- (2) 「二次方程式~の解であるとする」…!? なに、なにをしたいの?
- 解と係数の関係を聞きたいのは分かった。でも、ほかに方法ない? ちょっと唐突すぎない?
- で、「解と係数の関係により」って書いちゃうわけね。へええ。
- ある程度過去問をやった人にとって、「sinθ=4/5」と「cosθ=3/5」は“よく出る答え”として暗記してるくらいのレベルの数値なんだけど、それは考慮済み? 数学の暗記科目化万歳?
- 最後の問題は数Ⅰの範囲だと僕は思うよ。
第1問〔2〕 指数・対数を青チャートさんさながらに。やっぱ暗記数学万歳が出題者の本音なんすかね
- ここらへんからひねってくると思ったのにね。
- ふつううううう
- (1) あえて指数を分数にした数学的意味は? ねえ、意味は?
- まあ、そうでもしないとマジで青チャートさんの問題とかぶっちゃうからだよね。
- てか、もういいんじゃない? ムリして「参考書と違う問題」つくらなくて。
- ちょっと設定を変えることで数学の違った見方ができるようになるような問題なら、あってもいいと思うの。
- でもさ、これ違うじゃん、ただ「かぶらないように分数にしてみました!」ってだけじゃん。
- そういうのいらない。
- (2) センター試験ってさ、なぜか log で連立方程式解かせたがるよね。
- え、log ってそもそもそういうふうに使うものだっけ?
- X と Y を置き直すことで、逆に最後の問題の答えを見えにくくするのはずるいと思うの。
- だからさ、最初から X と Y を使わない方が、最後まで正解しやすかったんじゃない? ねえ。
- ほかの問題ではヒントとか注意点とかほのめかしてくれるのに、そういうときは無言なのってほんとどうかと思う。
第2問 微分積分もふつーな問題なんだけど、予備校的な裏ワザ公式が大活躍しちゃうから困ったことに。
- ここらへんからひねってくると思ったのにね。(2回目)
- ふつううううう(2回目)
- (1) 共通接線ね。どの問題集にも参考書にも載ってるやつ。
- むしろだいたいの学校は定期試験で出すんじゃないかな。
- まあ、それくらい超有名(&普通に有用)な問題をちゃんとセンターで出すのはいいことだと思うけどさ。
- 僕はこの問題、「センターの問題がこんなに普通なはずがない!」ってムダに身構えちゃったけどね!!(言いがかり)
- (2) いわゆる 1/3 公式使えば一発だよね。ただ、塾とか行かないとあんまり教えてくれない公式だから、そうじゃない受験生はちょっとかわいそうだったかもね。
- これで「この講義でこの公式を覚えてた受験生は…」とか塾・予備校がまたドヤ顔するんでしょう、どうせ。
- (3) 計算だるっ。
- でもやっぱり 1/3 公式で相当ラクになるんだよね。これ。いいのかな。
- (4) 計算くそだるっ!
- とりあえず、U の数学的な意味を教えてくれないかな。
- 最後に微分させて三次関数の最大最小を聞きたかっただけなんだろ、どうせ。
- てかそのわりに結構お手軽な問題にしたな。
- 極大値がそのまま答えかよ。まあいいけど。
第3問 漸化式を最大級にアホみたいな形にすることで、その後の問題のアホさと支離滅裂さを隠そうとしたとしか思えない
- この漸化式を考察すべき数学的な理由を述べてくれ。本当に。お願いだから。
- てか、これ20点分の問題だよな? 60分試験の割合で考えると、12分で解くべき問題なんだよな? ねえ、本当にそのつもりで作った?
- (1) そして最初はお約束の a2 を求めよ問題。飽きないねえ。
- あ、大事な問題だとは思います。
- (2) 実質、この誘導で問題の 90% が解けちゃってるよね。
- でも、この誘導で 80% の受験生が諦めちゃったよね。きっと。
- センターで部分分数分解出たのひさしぶり? まあ出してもいいとは思うけど。
- 部分分数分解自体はどの教科書にも載ってるから、ここまでたどり着けた受験生は普通に解けたと思うよ。
- でもね、たぶん問題は「何割の受験生がそこまでたどり着けたか」なんだよ。
- だからね、途中に基礎問題(等比数列の和の公式)を入れたところで、あんまり意味ないんだ。そこまで行ってないから。
- そしてその前の段階で少しでも計算ミスしてると全部解けないから 。
- そして最後に「ちょっとだけつまづかせたろ」的な分数計算かよ。
- ふつうに止まっちゃったじゃねーかよ、時間返せよ(言いがかり)
- (3) そういえば an 求めてたんだよね。そういえば。
- 整数となること、そんなあっさり分かる? 普通の受験生にはむずくね?
- (4) なんでこれここに入れた? 急に剰余類? なにさせたかったの? 「配点余っちゃったー(てへぺろ)」的な?
- てかここまでの内容で20点分にすりゃいいじゃん。まじイラネ。
第4問 空間ベクトルだけど(3)までは平面αでの話してるから実質平面ベクトルだし、大きさと内積の計算問題ばっかで楽しくない
- (1) まあこれはよい。ちゃんと受験生に点を与えてやってくれ。
- (2) うん、これも普通に必要な問題。「①から」という一言を入れたのは気が利いている。
- だけどこれに気づかない受験生もいたんだろうなあ。
- (3) 四角形の種類? CB=2/3 OA に気づけましたか、ってこと? ただ単に次の面積求める問題につなげたかっただけ? そのわりに冒険したなと思うのは僕だけ?
- (4) ここでようやく空間の意味が出てきたよね。
- そして計算をムダにややこしくすることに意味あるのかな。
- 角度を出させた上で、それを最後の問題につなげていくのは、上手いと言えば上手い、これ見よがしといえばその通り。
- 「αとβは垂直であるので」って大ヒントをあげたものだ。
- 最後に空間図形的な視点も必要な、悪くない問題だったと思うよ、うん。
- ただ、最後の2問、答えが √3 と 4√3 って、テキトーに答えて当たった受験生結構多そう。
- やっぱり数学ⅡBでもマーク式試験の限界をアピールしに来たか…
- 「記述式にしないとこういう問題でテキトーに当たっちゃう受験生いるでしよー?」的な? うぜーなーまったく。(言いがかり)
【センター試験 数学ⅡB 完】
…
…
結局僕は、「問題集とか参考書に載ってるオーソドックスな問題」と「ひねった問題」のどっちなら不満がないんだ、って言うね。
いや、いちばんの理想は「オーソドックスな問題を少しだけひねるんだけど、そのひねりによって数学的な深みや実用性が増して、数学を学ぶ意欲が上がるような問題」なんですけども。
まぁ、そこらへんはセンター試験のあとを受け継ぐ共通テストさんに期待、ってことで!
…
…
(お前が作れよ、は禁句)
【センター試験2020】数学ⅠA問題レビュー、あるいは問題作成者の視点に立つということ
「先生、数学IA難しかったです!怒」
「数学IA、先生が出しそうな問題でした!!怒」
となぜか怒られた感じで生徒に言われた月曜日。
えっと、あの、ごめんなさい……。
センター試験も今年で最後、来年度からは問題傾向も大きく変わる予定なんで本来あんまり意味はないんですが、せっかくなので生徒との会話のタネに解いてみました。
で、せっかくなんで、ちょい辛口 & 上から目線な問題レビューでもしてこうかと。
ここでは半分冗談まじりの問題レビューをしていきます。詳しい解説は予備校さんのサイトなどを参考にしてください。
センター試験(2020年度・本試験)数学IA
第1問〔1〕 1次関数に見せかけて2次不等式と無理数の計算をふつーにやらせるだけ
- つまらない。
- むりやり融合問題感出しすぎ。
- そしてその設定なら無理数出さない方がよかったんじゃん?
- 「でも最初に √ の問題聞かないと…」って事情とかさ、分かったよ、もういいよ。
- (1) でも最初の問題をシンプルな2次不等式にしてくれたのはマジでありがたい。
- でも今回のIAの問題で褒められるのはそこだけかな。
- (2)「また、」の前は1行あけてくれ。それだけでも解ける生徒はいるんだ。
- 最後の分母が「13」って…。ダサすぎ。そこは「12」か「15」だろ。(言いがかり)
第1問〔2〕 集合と論証と命題なのに倍数の話にしちゃうから愚問化まっしぐら
- 「4の倍数」「6の倍数」「24の倍数」の性質、ってそれ、日本語で書けば小学生でも分かる問題じゃん。
- それをむりやり数学の記号使って分かりにくくしてるってだけだよね?
- ダサすぎない? それで「数学ってすげー!」って受験生が思ってくれるわけ?
- 腹立つ。
- そういう観点で見ると(1) (2)ともにひでーぞ。
(1)の意訳:「32は次のうちどれ?」
(以下略)答え:3。
- 「4の倍数」であり「6の倍数」であり「24の倍数」
- 「4の倍数」であり「6の倍数」だが「24の倍数」ではない
- 「4の倍数」だが「6の倍数」ではない
- 「4の倍数」ではないが「6の倍数」
(2)の意訳:「4の倍数でも6の倍数でもある最小の自然数は?」…答え:12。
- ……ひどい。
第1問〔3〕 2次関数のグラフの基礎的な問題を言葉遊びで混乱させようという魂胆
- いちいち「平行移動」とか呼ぶからめんどくさくなるんだよ。
- 最初から「グラフGは、2点〜を通る」って書いてくれるだけでどんだけシンプルになるか。
- シンプルさって数学の美徳じゃなかったっけ? うん?
- (1)「線分とGが共有点をもつ」って、そんなアホな表現の仕方ある?
- 「x=3 のときの y の値が -3≦y≦0 のとき」って素直に書かないのって、数学的にどんな意味があるの? ねえ教えて?
- (2) y=x^2 のグラフを平行移動、とか書かないで、シンプルに頂点の座標って聞いとけよ。
- 逆になんでそんな聞き方でいいと思ったんだよ。数学的にどんな意味があるんだよ。
第2問〔1〕 三角比の問題だけど図形の性質とか三角関数知ってたら楽に解けちゃうから、近い将来予備校講師がドヤ顔で解説する顔が浮かぶ
- BD を求める…分かる
- cos∠BDCからのsin∠ADC…ここでむりやり相互関係の問題入れたかったのね、仕方ないか
- AC/AD…これ正弦定理使わせたいの? それとも角の二等分線の性質? → 出題範囲を考えるとたぶん正弦定理なんだけど、角の二等分線の性質使った方が圧倒的に楽だよ、問題設定それで大丈夫?
- AD…そこでさらに余弦定理かよ。余弦定理問題多すぎない? 素人かよ。
- △ABCのR…これは倍角使わせたいの? それとも△ADCが二等辺三角形ってことに気づかせたいの? → 倍角習うの数Ⅱだし、たぶん後者なんだけど、これも圧倒的に倍角の方がスムーズよね。いいの、それ?
第2問〔2〕 データの分析という名の当てずっぽうクイズ
- てか問題量多くね? そんなにこの単元大事?
- (1) こいつイラネ
- 「平均値」と「標準偏差」って言葉入れたかっただけだろ。マジイラネ
- (2) 箱ひげ図47個とかキモいんですけど。
- 実際5つありゃ十分よね、問題としては。
- なに、受験生を慌てさせるためだけの問題? そういうのほんとやめて。
- (3) 箱ひげ図とヒストグラムの対応がお好きなのは分かりましたさ、毎年のように出すもんね。
- でもさ、それってほんとに大事なの? そういうデータの使い方、したことある?
- てかこの問題、迷う要素少なくない?
- (4) 散布図の問題出すならもっと素直に聞いたら?
- どの直線がどの切片に対応してるのか書かないのは作為的なんだろうけど、そんなグラフ日常で書かないので意味ないと思います。
- ちなみに、ぶっちゃけどこで迷わせたいのか分からないんだけど。間違いの選択肢が雑すぎない?
第3問〔1〕 確率で攻めた問題を出したつもりが行方不明に
- なんで小数出した?
- その方が確率っぽいから?
- なんで「い」「ろ」「は」にした?
- しかも「ろ」と「は」は2枚ずつ? なんで?
- なるべく教科書とか参考書に出てないシチュエーションにしたかったの? 攻めるとこ、そこ?
- なんで間違うロボット出した?
- いや、このロボットなんで間違うの?
- そしてまた小数を使うのはなぜ?
- ちなみにロボットの選択肢に来る前に解答確定するから初見のときは読まなかったよ。
- だってこの問題うざいんだもん。
第3問〔2〕 ようやく普通の確率問題みたいだけど、だいぶ甘く作っちゃったから普通に数え上げた方が速い
- (1)(2) ふつーすぎ。
- てかむしろどっかの問題集に載ってそう。まぁいいけど。
- (3) ここをちょっと複雑にするために変なルール付け足しちゃったよね。
- もうちょっと自然なルールだったら受験生も「なるほど!」ってなったのにね。惜しい!
- (4) 複雑にしたわりに、数えた方が速い問題になっちゃったね。
- だって7個しか該当しないんだもん。数えるよね。
- むしろどう解いてほしかったの?
第4問 整数問題を循環小数から入ったところまではおもしろかったのにね
- (1) 今まであんまり出てなかった範囲だから受験生は驚いたみたいだけど僕はいいと思うよ。
- むしろヒントそんなに出して大丈夫? 国語の問題になってるよ?
- (2) 前問からの流れで循環小数の設定ってのはおもしろかったね。
- でも問題自体にはほとんど生かされてないね。
- …って社会の問題のリード文かよっ!
- あとさ、7進法ってなくない? ねえ?
- あなたはいつ使ったことあるの? 7進法。
- 「分子が奇数で分母が4」ってさ、本当は「既約分数にしたときに分母が4」って言いたかったんだよね、きっと。
- でもそれだと分かりにくそうだから「分子が奇数」って言ってくれたんだよね、きっと。せっかくこの問題のおもしろいところだったのにね。
- (もっとほかのところに気を遣ってくれないかな)
- y-2 も、「0.a'b'」ってしたかったのを気遣ってくれたんだよね、きっと。
※ a' の「'」は、aの上に「・」が書かれた記号を表すとします。例:0.3'=0.3333…
- そしてその気遣いのせいで「循環小数」っていう最初のテーマが見えなくなったんだよね。残念。
- そしてだからこそ「a≠b」の条件が空気になっちゃったんだよね。誤算だったよね。
- …え、作り直す時間はなかったの?
第5問 最初っからチェバ・メネラウスを出したから行方不明になって奇怪な行動をとりはじめる
- まぁ最初のチェバとメネラウスはいいよ。良くも悪くも、ふつー。
- 次の面積比もいいよ、ふつー。
- で、方べきね。いつもと順番変えたわけね。まぁいいよ。
- …からの、AE=3√7 !? ほえっ?
- それでいきなり AE・AC を求めさせるわけ? 文脈って言葉知ってる?
- ねえ、なんで AE・AC を急に求めたくなったのー? ねえなんでー
- そっから最後に…、相似を見つけろって!? そのためにむりやり 3√7 っておいたってこと?
- あ、そうか! AE・AC を求めると方べきの逆を使えるから相似が見えやすいんだー!
- …って、おい! 気持ち悪い誘導してんじゃねーよ。
- そしてまあまあの難問なのに選択肢少ないから 1/4 で当たるんですけど! しかも答えは「よく当たる」とウワサの「②」なんですけど! これ何のサービス!?
- それとも最後にマークシートの限界が分かる問題をもってきて、「ほら、記述式を導入した方が良かったよね?」ってこと? そういうこと?
【センター試験 数学ⅠA 完】
…
…
センター試験を受け終わった受験生の皆さま、おつかれさまでした。結果は人それぞれだと思いますが、それぞれに結果を受け止めつつ、前向きに次の行動に移れればと思っています。
これからも受験勉強が続く人もたくさんいると思います。どうかお身体を壊さぬようお過ごしください。
(ちょっと毒舌・悪態がすぎたので、最後は丁寧に笑)
【島生活】まさかの到来、ヨコワウィーク
この前のブログで「運がよければ」と書いていたヨコワウィーク。
まさかの本日到来。
ヨコワとの出会いは2年前。
いつものように魚屋さんに行って、今日はハマチがおいしそうだなーなんて魚を眺めていたら、ご主人が
「いやー、先生、今日はコレでしょ!」
と指差したのが、僕にとっての初めてのヨコワ。
ハマチは大きめのが1匹で800円くらいなのに、ヨコワは切り身で2000円〜2500円。
「ちょっと高いですけど、これ何の魚ですか?」
なんて無知丸出しで聞いたら(島の魚屋は本土のように魚の名前は貼られていない)、
「ヨコワだけん、ここらじゃ結構珍しいし、おいしいよ」
と。まぁ、そう言われたら仕方ないし、このご主人には(本当に)いつもお世話になっているので『だからヨコワって何なんだ…』って思いつつも買いましたよね。
家に帰って調べて驚き。
「ヨコワ」ってマグロの幼魚だったのか!
(てかマグロって出世魚だったのか!!)
で、とれたてのマグロがこのサイズで2500円だったのか!
…その日の人生初ヨコワはめちゃくちゃおいしかった。しかも結構大きなサイズだったから、赤身もトロも大トロも、食べてもなかなか無くならない! ――島の1年目で衝撃的だったことの上位はヨコワとの出会いかもしれない。
ということで、今日の魚屋さん。
ヨコワばっかり。
ご主人からのヨコワ情報はこちら
- 隠岐でとれるヨコワはクロマグロの幼魚
- 「ヨコワ」ってそういえば山陰の呼び名なのかもしれない
- マグロの数量が減ってる関係で、小さすぎるヨコワはとっちゃいけない
- さらに1年間でとれる数量が決まっているから、なかなかヨコワは出回らない
- 隣の島は規定数量にすぐ達してしまうので、それ以降にとれたヨコワは全部海に戻してしまう
- ただヨコワももちろんマグロと同じく泳ぎをやめると死んでしまうので、海に戻すと言っても捨てるに等しい
- もったいない
で、さらに
- ヨコワを食べるときは血抜きして、1日〜2日熟成させるとよい
- 血抜きは、皮をむいて、血合いをとって、キッチンペーパーに包んでおく
- 冷凍するならさらにラップを巻く
- カマは最初にとる。いちばんおいしい。
とのこと。
で、そんな感じでさばく。
(さばくのにかかった時間は半身あたり15分くらい。意外とかかったな…)
さっそく食べたいところだけど、熟成の力を信じて今日はカマ焼きと中落ちのタタキをいただくとしよう。
職員室の3学期、あるいは教員と「評価」の関係について
3学期になると、職員室の話題は全国どこでもだいたい一緒。
「人事」だ。
僕は都合、5つの府県で職員室に通わせてもらっていたのだけど(立場は教員だったり学習支援員だったりスクールサポーターだったり様々だったが)、どこの職員室でも同じだった。
3学期は、人事の季節。
- ○○先生は△年目だから今年は異動になるはずだ
- ✕✕先生は家庭の都合で異動希望を出したらしい
- 近くの□□学校の※※先生も今年異動だという話だ
- …ということは○○先生と※※先生が交換になるかもしれない
- いや、※※先生とうちの校長は折り合いが悪いからそれはない気がする
- 初任の先生が来るんじゃないか。うちの校長、初任の先生好きだし
のような憶測ベースの話題から始まり、2月〜3月上旬には
- うちの学校の○○先生、やっぱり異動願い出してたんだって
- 次の提示は◎◎地区って話だから、やっぱり□□学校じゃないかな
- そうか、じゃあ□□学校の先生に知り合いがいるからちょっと聞いてみるね
- 聞いてみたけど、※※先生の提示は◇◇地区だったらしいよ
- じゃあ、○○先生の後任はほかの学校の人か…、ちょっと周りに聞いてみるね
- ほかの学校の情報だと、該当者は3人に絞られた感じだね
- いや、初任の線も捨てがたいよ
などなど、ベテランの先生方が張り巡らせた独自のネットワークでどんどん情報を収集して情報の確度が上がっていく。
そして3月中旬になり、学校間人事異動の話がだいたい固まってくると、今度は校内人事に興味の対象が移っていく。
- 担任の先生、あのクラスは持ち上がりだと思うけど、あっちのクラスは担任変わりそうだよね
- あの先生とこの先生は相性悪いから担当が別々になるんじゃない?
- ▽▽部、保護者と先生がうまくいってないらしいから、顧問変わるんじゃない?
- でも後任の顧問の先生は? 誰もやりたがらないなら次来る若手の先生にやらせるのかな?
- あの先生は今年と同じ役になってほしいけど、校長にこの前呼び出されてたからもしかしたら…
- 逆にあの先生がこっちの部に来たらすごく活きると思うんだよね
といった具合で、これもまた延々と続いていく。
教育現場に関わった最初の頃は、その熱意というか興味関心の高さにびっくりしたのだけど、教員生活も長くなって、あまりにも毎年同じ光景が続いているので、最近ではこれは一種の文化・伝統の領域なんだと思った。
雰囲気で言うと、スポーツの世界の移籍だとかチーム内のポジション争いを、ファンが熱心に分析している様子に近いのかもしれない。
そういえば日本でも平安時代の貴族たちのいちばんの関心事は「人事」だったと言うし、そういう意味でもやっぱり文化とか伝統のたぐいなんじゃないかと思う。
正直なところ、この手の話に生産性はないと思っている。
だって、こんな話をしたところで何も変わらないんだから。ほんの数カ月待てば結果が分かることなのに、わざわざ学校内外のネットワークを駆使してまで曖昧な情報を流通させてもあまり意味がないじゃないか、と僕は思う。
そう思って僕は前の学校で自分の退職をなるべく伏せていたのだけど、それはそれで作法が違ったらしく、難しい。
こんなふうに思っているのは、たぶん僕だけではない。事実、どこの学校でも毎年数人は誰にも情報を渡さずに異動となる「サプライズ」が存在するし、人事のウワサが職員室で始まると嫌そうな顔をする人もいる。
じゃあ、なぜ多くの教員は人事を気にするのか。
その第一の理由は、教員という職業の「評価」への歪んだ執着にあるんじゃないかと僕は思う。
日々、生徒のことを「評価する」立場でありながら、生徒や保護者からは陰で(時に堂々と)「評価される」立場でもあるのが教員だ。
それが日常だとどうなるか。多くの教員は、生徒や保護者からの評価を(ほどよく)受け流すようになる。
まぁ、こちらの考えや事情を考慮しない意見も含め、あまりにも多くのいろんな声が聞こえてくるので、いちいち気に病んでいたら身がもたなくなる、という事情もある。
ちなみにこれはあくまで僕の観察による推測である。
そして、「生徒を評価する自分」と「生徒・保護者からの評価を無視する自分」の間に挟まれ、自分のやっている教育活動に自信が持てなくなったとき、「周りの人間からはどう見られているのか?」「自分の『本当の評価』はなんなのか?」という疑問を抱くようになり、結果として同僚や管理職からの評価に敏感になる。
「人事」はそこで大きな役割を果たす。
管理職は自分のことをどう思っているのか、同僚のあいつはどのように評価され、別のあの人からはどう見られているのか。「人事」のウワサ話の流通と共に、直接または間接的に、様々な形の「評価」もまた流通して回る。そのウワサと実際の人事の結果を照らし合わせ、それらを「周囲からの本当の評価」として捉えることで、教員は日頃の心の中の「歪み」を調整しているのではないか。
もちろん、民間企業でもそのような側面はあるだろう。けれど、民間企業と教員とには大きな違いがあると思っている。教員の世界には、民間企業にあるような、「昇進」や「昇給」といった成果を評価される仕組みがほとんどないのだ。昇進はある年齢になって試験を受けなければならないし、昇給も毎年一定なのが暗黙の了解。だから、本当の意味で「周囲からの評価を受ける」場が実質「人事」に集約されているのだ。
一応「目標管理」「成果評価」的なイベントは学校にもあるのだけど、基本的に全部事なかれで終わるので、まっとうなフィードバックとして機能していないのが現状。
「評価をしながら評価を無視するという『歪み』から、『周囲からの正確な評価』を求める」という教員のメンタリティ、そして「周囲からの評価が分かる、実質唯一の機会としての『人事』」という教員の制度。
その2点が、教員の世界の「人事」への極端な執着に繋がっているのではないか、と僕は考えている。
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さて。
今年度はどうやって人事の話題から遠ざかろうかな。