旅する教師の業務報告

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【書評】本質を追究する対話、あるいは「当たり前」をやめるための「当たり前」の力について

麹町中学校の学校改革は、僕の中で今年の春最大のホットワードだった。

定期テスト」「服装頭髪指導」「学級担任制」といった、普通の公立中学校では「当たり前」にあるルールや取り決めを実際に廃止し、より本質的な教育の在り方を実践しようとしている工藤校長の存在に、僕は大きく勇気づけられた。

学校の教育改革事例はいくつか知っているけれど、それらは私立の学校だったり、新設の学校だったり、文科省管轄外だったり、教育実験校的な位置づけだったり、あるいは校長がいわゆる民間人校長だったり、「ちょっと特殊な」学校での事例だった。

その点、この麹町中学校は(ある種の特殊性はあるにせよ)ずっと一般的な公立中学校で、工藤校長も基本的に教員として現場でキャリアを積んで教育指導主事なども歴任してきた、ある種「普通の」校長先生。

そんな「普通の公立中学校」が、工藤校長のもと、5年間で次々に新しい取り組みを実施し、既存の錆びついた制度を見直していったところに麹町中学校の事例の魅力がある。

 

…というところまでが事前知識で、今回は『この本で麹町中学校の事例の詳細が分かれば良いなぁ』程度の期待値だったのだけど、本を読んだら麹町中学校と工藤校長のまったく違う魅力に出会ってしまった。

何よりも驚いたのは、この学校改革が、工藤校長のトップダウンではなく、工藤校長と教員・保護者・生徒との対話で生まれたことだった。(だから工藤校長はこの改革を「小さな改善の結果だ」と言う)

これまで僕が出会った教育改革事例では、「強いリーダーシップをもったリーダーがビジョンをもってトップダウン式に現場を変革していく」というストーリーが多かったし、僕も最初は麹町中学校がそういう学校なのだと思っていたのだけど、むしろ正反対だった。

先生方と、保護者と、生徒と、校長が対話を繰り返して『学校の本質』を見つめ直すことで進めていった、学校「改善」のプロセス。

誰もが『そんなふうに学校が変わっていくといいね』と思っていながら、『でも現実はね…』と即座に否定してしまうようなプロセス。

それを実行してしまう工藤校長のストーリーは、トップダウン的な改革を成し遂げたリーダーのストーリーとは違った種類の「憧れ」を生み出す。トップダウン的なリーダーのストーリーを読んだあとの「憧れ」が『こういうことができる立場であれば、自分にもできたのに…』という「立場への憧れ」なのにたいし、工藤校長への「憧れ」は『こんな人になってみたい』という「人間性への憧れ」だ。

担任をもっていたクラスがうまくいかないとき、授業がうまくいかないとき。教員としてのキャリアで『突き詰めるとそれって自分の人間性の問題じゃないか』と気づかされたことは数えきれない。この本を読んで、そのことをさらに大上段から言われたような、そんな感覚に陥った。

〜〜〜

でも同時に、この工藤校長の取り組みを「それって普通のことでしょ?」と感じる方も多いのだと思う。「なんでこんな常識的なことを今までやってこなかったの?」「これくらい、普通の企業のちょっと優秀な管理職ならやってるよ」と。

うん、その通り。その通りなんだけど、たぶん違う。

なんでかって言うと、一般的に「校長先生の仕事」というのは「日常の業務だけでめちゃくちゃ忙しい仕事」だから。そんな日常業務をこなしながら、ある意味で自分の仕事を増やすだけの「対話を通じた学校改善」なんて、普通はできない。(その意味で、僕が工藤校長の学校改革のいちばんのキーポイントは、工藤校長の日常業務遂行能力の高さにあったんじゃないかと思っている)

…ん、ということは、全国の校長先生の日常業務を全体的に軽減させて校長先生に「対話」の余裕をつくること(ex. 教頭職を2名置いたり、副校長を置いたり)で、麹町中学校みたいな改革が全国規模で進むんじゃないか…!!

 

なんて妄想をしながら、わくわくうきうき読みましたとさ。

教育に興味関心のある皆さまもぜひどーぞ。

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