その「支援」は「強制」になっていないか、あるいは「妨害」になっていないか。
今回は短文でまとめよう。
「支援」とは、
「本人がもともと『やりたい』と思っていた内容について、本人が自分でできる状態になるように手助けすること」
であって、
- 本人が『やりたくない』と思っていることを”手助け”する → 【強制】
- 本人が自分でできるようになったあとも”手助け”する → 【妨害】
である。
学校の「支援」には、これを忘れてしまったものが本当に多い。
- 学習支援を、成績が○以下の生徒全員に…
▶ 支援ではなく【強制】です。 - 水泳で25m泳げない子どもを放課後に集めて…
▶ 支援ではなく【強制】です。 - さらなる支援をするために、自主的に活動をしたときも都度報告を…
▶ 支援ではなく【妨害】です。 - 子どもたちが今後も○○を続けられるように、継続した支援を…
▶ 支援ではなく【妨害】です。 - ……
「支援」をする側の「承認欲求」というか「支配欲求」みたいなのが強いと、こういう現象が起こっちゃうんだよなー
……そう考えると、本当に「支配欲求」ってやつは教育活動の中にひそむ敵なんだな、と。
そこらへんは以前↓の記事にも書いた。