【話題】Society 5.0 について考えていること、あるいはSociety 5.0 を無視すること
こんな主張があった。
「Society 5.0ですべてが一新する」というような発想はあまり好きではなくて、あくまで「今までの社会に大きな要素が付け加わる」という発想でいいんじゃないかと思っている。
ただの臆病者の楽観視だと思われるかもしれないが、それなりに理由はある。僕らの世代は中学・高校でインターネットが普及し始めて「これからの社会はインターネットで一新される」「○○の仕事がなくなる」みたいな言説を浴びるように聞いてきた。だけど、それらはどうなっているだろう。…実際は100の予想のうち30くらいしか当たらなかった。
そもそも、その遥か前、Society 1.0 〜 3.0 の間だって新しい技術の出現によって「社会のすべてが置き換わった」わけではないし、「すべての仕事が奪われた」わけでもない。というか今でも漁業は一種の狩猟採集社会 = Society 1.0 だし、農業 = Society 2.0 の世界もなくなってないし、工業 = Society 3.0 ももちろん同様。それぞれにバージョンアップしたり従事人口の変化もあるけれど、完全に置き換わったわけでもなくなったわけでもない。
それもあって、「Society 5.0 で社会はこうなる」っていう大きな予想、特に「社会が一新される」だの「○○の仕事がなくなる」と言った主張を僕は信じない。
ただ、「社会は変わる」ことが今も昔も変わらないということはたぶん本当だ。
何も変わらなかったように思われている日本の江戸時代だって、政治改革や情報通信革命で社会が大きく変わっていたという研究がある。
だから、「社会は○○のようになるから△△のような人間になりなさい」という教育は僕はしたくない。たぶんそれは当たらないから。
僕がしたいのは、「いつの世も社会は変わるから、どんなに社会が変わっても耐えられる人になりなさい」という教育だ。
…Society 5.0 とか、関係なく。