【島生活】欠航の日は休校の日、あるいは「自然には勝てない」という正しい前提をもつこと
朝の6:30に島内無線が響きわたる。
まずは隠岐汽船から
「本日、海上時化のため、フェリーは終日欠航します」
続いて隠岐観光から
「内航船いそかぜ、フェリーどうぜんは終日欠航します」
この2つの放送が同じ内容だと思うかもしれないが、前者は本土から隠岐諸島までのフェリーの欠航、後者は隠岐諸島間での内航船の欠航を指している。
…そう来たか、と思ってしばらく待っていると、職場からの電話連絡網がまわってくる。
「本日、休校です」
冬場のこの時期、島の学校はよく休校する。
と言うのも、生徒の1/4あまりは上述の内航船で通学しているので、内航船が欠航になると通学の手段がなくなり、臨時休校にせざるを得ないからだ。
休校はもちろん「休める」というメリットもあるし、それはそれで嬉しいことも多いのだけど、教員にしてみると意外に困ったイベントだったりもする。
休校のデメリットとしては、
- 授業の予定が崩れる
▷ 特にテスト前の被害は甚大。赴任当初は(今とは違い)結構計画を練った授業をしていたので、休校システムに慣れない頃は発狂しそうになっていた。「今日の授業の代替日はあるんですか?」とか周りの先生に聞いたり(答えはもちろん「ないものはない」)。
▷ 今は単元内自由進度の形式をとっているので以前ほど慌てなくなったが、そのぶん部活の計画を気にするようになったので、そこがネックになっていたりする。 - 結局出勤はしなければならない
▷ 休校になるのは生徒だけなので、教員は普通に出勤する。もちろん普段より年休はとりやすいのだけど、会議・打ち合わせは予定通り行われるので、あまり油断できない。 - 業務効率が下がりがち
▷ これは個人差があるだろうけど、僕は長い時間のデスクワークが苦手で、あまり効率も上がらないため、そんなに仕事もはかどらない。休校のたびに、「やっぱりデスクワークは半日でいいや」と思ってしまう。やっぱり生徒がいてこその学校である。 - 船の欠航によりシンプルに生活物資に困る
▷ 休校のせい、ではないけれど、休校の原因となる「船の欠航」は普通に困る。2〜3日も欠航が続くと、島から生鮮食品もなくなる。
などなど。
赴任した最初の年、休校は10回と「当たり年」。
反して2年目の去年は1回だけ。この年度ごとのバラつきの読めなさも対応の難しさの一因だ。
今年度は今のところ休校6回。
昨日・今日と2日連続で、島の人の話だと明後日も怪しいらしい。
……もう今週は特別休校ウィークでいいんじゃないか?
なんて無責任なことを考えてしまったり。
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以下、蛇足。
島生まれの人や島暮らしの長い人は、予想外の欠航でどんなに大事な予定が崩れたとしても、
「自然には勝てんけん」
「なんとかなるだわい」
と、決して慌てることなく、淡々と、それでいて確実な対応をする。
島の人と一緒に仕事をするとき、いつも皆さんの臨機応変な対応力に助けられるのだけど、その力の根源はこの感覚なのかな、とよく思う。
「圧倒的に敵わない力( = 自然)の前で、自分たちはどう生きるか」。
島の人たちは常にそういった問いにぶつかりながら生きている。
文科省とかの言う「予測困難な社会の変化に対応する力」って、こういうところで鍛えられる力が“本物”なんじゃないのか、と思っている。
実際、東京から島に来た人が、船の欠航など島ならではのトラブルに出会って慌てふためいているのを見ることも多いのだけど、そういうとき僕は心の奥で「そんなんじゃ都会でしか生きていけないよ」なんて思ってしまう。
「何事も思い通りに管理できるわけじゃないんだよ」とも。(それが幻想だって、あなたは3.11で気づかなかったのかい?)
そんな島暮らしの、3回目の冬。